第五十七章 自分で決める生き方・死に方

生きているとは、過去から現在を経て未来へと動く(流れる)実時間の水平世界にいることに他なりません。
死ぬということは、『今、ここ』という動かない(流れない)虚時間の垂直世界にいることに他なりません。
つまり、生とは生・死二元世界のことであり、死とは死絶対一元世界のことであります。
拙著「(静止)宇宙論」で、相対運動宇宙とは相対静止・運動宇宙のことであり、静止宇宙とは絶対静止一如宇宙のことだと述べましたが、生が運動であり、死が静止であると言ってもいいわけで、しかも、静止である死が実在であり、運動である生は実在の不在概念、つまり、映像に過ぎないのです。
従って、
過去から現在を経て未来へと動く(流れる)実時間の水平世界における生と死は、相対二元の生・死であり所詮は映像であります。
『今、ここ』という動かない(流れない)虚時間の垂直世界における生と死は、絶対一元の生であり死である実在であります。
ところが、わたしたち人間は、生は相対二元の生・死の生であると考え、死は絶対一元の死であると考えているのです。
宗教の世界で、死後の世界を実在界と主張する所以です。
問題は、過去から現在を経て未来へと動く(流れる)実時間の水平世界における生と死と捉えるか、『今、ここ』という動かない(流れない)虚時間の垂直世界における生と死と捉えるかであります。
過去から現在を経て未来へと動く(流れる)実時間の水平世界における生と死と捉えれば、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれることが間断なく続きます。
『今、ここ』という動かない(流れない)虚時間の垂直世界における生と死と捉えれば、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれることが一切なくなります。
生は相対二元の生・死の生であると考え、死は絶対一元の死であると捉えれば、わたしたち殆どがそうであるように、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれることが断片的に続きます。
どんな生き方・死に方をするか、それはあなた次第です。