第五十五章 新しい歴史の第一歩

わたしたちは過去から現在を経て未来へと動く(流れる)実時間を唯一の時間として、わたしたち人間という空間の上に君臨させています。
空間という三次元世界の上に時空間という四次元世界を奉っているわけです。
人間の歴史の中で誕生した宗教が主張する神という概念の正体は、詰まる処、この実時間に他ならなかったのです。
人類の歴史の中で誕生した信仰が主張する神という観念の正体も、詰まる処、この実時間に他ならなかったのです。
太陽を神とする信仰、火を神とする信仰、天を神とする信仰・・・も、人格化した者を神とする宗教も、たとえ、人格化した神が八百神であろうが、唯一神であろうが、詰まる処、その正体はこの実時間を唯一の神(時間)とする処にあったのです。
ところが、時間には、『今、ここ』という動かない(流れない)、つまり、静止している虚時間というもう一つの時間がある。
過去は、過ぎ去ってしまった既知の明確な実時間です。
未来は、未だ来ぬ未知の不明確な実時間です。
問題は、過ぎ去った既知の明確なものでもなく、未だ来ぬ未知の不明確なものでもない、現在という意味不明確な実時間にある。
明確も不明確も意味明確である。
意味明確・意味不明確という相対的二元要因が補完関係にあることを意味している。
現在は意味不明確な絶対一元要因である。
相対的二元要因である過去・未来と絶対一元要因である現在を横並び(水平展開)させ、過去から現在を経て未来へと動く(流れる)唯一の時間としたことが致命傷であったわけです。
現在とは、『今、ここ』という動かない(流れない)、つまり、静止している虚時間に他ならなかったのです。
現在を、『今この瞬間』といった概念で捉えるから、動く(流れる)実時間と勘違いするのです。
『今』は時間の単位です。
『この瞬間』も時間の単位です。
従って、『今この瞬間』は、『今』という実時間と『この瞬間』という実時間を結ぶ動く(流れる)実時間です。
『今』は時間の単位です。
『ここ』は空間の単位です。
従って、『今、ここ』は、『今』という実時間と『ここ』という空間の交差する点、つまり、動かない(流れない)虚時間です。
現在を『今この瞬間』と捉えて、過去と未来の間に挿入したことが致命傷であったわけです。
現在を『今、ここ』と捉えて、動かない(流れない)虚時間とするべきだったのです。
実時間を唯一の時間(神)と捉えたのが間違いの元だった。
実時間と虚時間という二種類の時間があったと気づくべきだった。
錯覚の生き物である人類と人間の歴史にとって、二種類の時間があることが気づきの歴史への第一歩なのです。