第五十章 知的動物・人間の宿命

自他の区分けをするにせものが自他同一視する。
二元論の正体はここにある。
自他の区分けをしながら、自他が同一世界に存在すると考える。
二元論の正体はここにある。
好きと嫌いと区分けしながら、好きと嫌いを同一世界に存在すると考える矛盾を抱えているのが二元論に他ならないのです。
運動する世界は二元論の世界と言い換えてもいい。
生きているとは運動していると言い換えてもいい。
生きているとは二元論という矛盾を抱えていると言い換えていい。
わたしたちは好きと嫌いを対立要因と考えてきました、つまり、好きな世界と嫌いな世界は正反対の別世界と考えてきました。
二元論の正体は言います。
“好きな世界と嫌いな世界が同一世界に存在すると考えるから、好きと嫌いを別のものと考える”
二元論の正体はこうも言います。
“好きな世界と嫌いな世界は別世界に存在すると理解すると、好きと嫌いを別のものと考えられなくなる、つまり、同じものであることが理解できる”
自分(内界)と他者(外界)が同じ世界に存在すると勘違いする者は、好きと嫌いは別のものと考え、そして、好きを好いものとして自分(内界)に引き寄せ、嫌いを悪いものとして他者(外界)に押し付けます。
好いとこ取りの発想はこうして生まれるわけです。
自分(内界)独りだけが実在で、他者(外界)は映像であることを理解した者は、好きと嫌いは同じものと考え、そして、好きと嫌いの両方を超える、つまり、好きも嫌いもない境地に達します。
二元論を超えた三元論の発想はこうして生まれます。
知性を得たわたしたち人間は、三元論に達するための通過点としての二元論を超えなければならない宿命を背負っているのです。