第四十七章 二重の錯覚

知性の功罪両面を理解しないで生きてきたわたしたち人間は二重の錯覚をしている。
二重の錯覚が、にせものばかりに目が行き、ほんものの気づきの妨げになっているのです。
二重の錯覚とは二元論に対する二重の錯覚です。
二元論の本質とは、二つの要因が補完関係にある点なのに、それを対立要因と捉えているのが一つ目の錯覚です。
生きているということは動いていることである。
誕生するということは止まっているものが動き出すことである。
死ぬということは動いているものが再び止まるということである。
言い換えると、
誕生は一元論(静止一元)。
生は二元論(静止・運動二元)。
死は三元論(静止・運動・静止三元)。
従って、生きているものはすべて二元論に支配されているのです。
考えてみれば至極当然のことで、動くということはある点から別の点に移動することですから、二つの点があることが必要条件ですが、それはそもそも一つの点に過ぎないという十分条件を有する。
二元論の本質とは、そもそも一元(点)であったものが動き出すために二元(点)の表象が必要となるという点にある。
つまり、二元要因とはそもそも絶対一元のものが動き出すことによって二つの表象(現象)を表わしている(映し出している)に過ぎないのです。
そもそも一つのものを二つの見方(考え方)をしているのが二元論に他なりません。
補完要因とはそう意味であります。
それを二つの見方(考え方)を二つのものと捉えているのが対立要因であり、一つ目の錯覚であります。
二つ目の錯覚は一つ目の錯覚から生じたもので、一つのものを対立要因と捉えた結果、二律背反が生じる。
つまり、好いものと悪いものとがある、好いとこ取りの発想が生まれた。
本音と建前と言い換えてもいいでしょう。
絶対一元論世界で生きている他の生き物は本音だけで、建前はありません。
二重の錯覚をして生きているわたしたち人間だけが、面従腹背の本音と建前で生きています。
知性の功罪両面とはまさにこの二重の錯覚に他なりません。