第四十一章 生きる姿勢

潜在能力を100%発揮できる生き方は完璧な生き方であります。
全体感の生き方と言ってもいいでしょう。
潜在能力を100%発揮できない生き方は不完全な生き方であります。
部分観の生き方と言ってもいいでしょう。
第三十六章「死の概念・死の観念」で、この世(宇宙)は「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の三つの法則が働いていて、他の生き物が「在り方」、つまり、全体感のみで生きているのに対し、わたしたち人間だけが「在り方と考え方」の分裂的な部分観で生きている結果、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれるわけです。
死の概念を持つとは、「在り方と考え方」の分裂的生き方をする結果の産物に他なりません。
死の観念を持つとは、「在り方」の全体感的生き方をする結果の産物に他なりません。
従って、死の観念を持つとは、地球の「想い」である重力波と感応して生きることであり、必然的に、死期は自ら事前にわかるのです。
従って、死の概念を持つとは、地球の「想い」である重力波と感応しないで生きることであり、必然的に、死期は死ぬまでわからないのです。
悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生を送るのは、真の親である地球の「想い」を理解していない結果である、と述べました。
全体感で生きる完璧な生き方とは、死の観念を持った生き方であり、死期が自ら事前にわかる完璧な死に方に繋がります。
部分観で生きる不完全な生き方とは、死の概念を持った生き方であり、死期は死ぬまでわからない不完全な死に方に繋がります。
第一章で述べました、「よく生きること」は「よく死ぬこと」に繋がるのです。
わたしたちは常々「よく生きること」を願っていますが、「よく死ぬこと」など考えたこともありません。
結果(始まりと終わり)である「誕生と死」がわるくて、原因(途中)である「生」がよい筈がありません。
「よく生きること」を願うなら「よく死ぬこと」に腐心することです。
現代社会の人間の殆どが、“どっちみち死ぬなら、せめて生きている間だけでも、楽しく好きなように生きればいい!”と思い違いをして生きています。
そのような生き方は、最後の死をとことん「わるい死に方」に導く、「わるいこと」を先に引き伸ばす生き方に他ならない。
逃げ通すことが絶対に出来ないのが死であるのに、逃げ通そうとするのが、引き伸ばしの生き方です。
現代社会は、「真面目」という言葉を死語にしようとしています。
現代社会に、「真摯」という言葉を復活させなければなりません。
真摯な態度で真面目に生きることが、「よく死ぬこと」に繋がるのです。