第三十八章 間違った考え方

死の概念、つまり、生ある者は必ず死ぬということを知っていながら、死期のわからない地獄の死に方をするのが、わたしたち人間であります。
死の観念、つまり、生ある者は必ず死ぬということを体感しているから、死期のわかる天国の死に方をするのが、他の生き物であります。
生ある者は必ず死ぬということを知っていながら、死期がわからない。
この矛盾した考え方が、二元論の本質を見抜けない元凶になり、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目になるのです。
貧・富問題、健康・病気問題、幸・不幸問題、善・悪問題、賢・愚問題、支配・被支配問題、強・弱問題、男・女問題といった二元論の本質は、“生きている者の気持ちは死んだ者にはわからないし、死んだ者の気持ちは生きている者にはわからない”にあるのに、“生きているわたしたちは死んだ経験がないから、死んだ者の気持ちはわからないが、死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっている”という考え方を支持しているから、死を忌み嫌っているだけなのです。
結果、
貧・富問題の解決のために、富を求めて、貧を忌み嫌う。
健康・病気問題の解決のために、健康を求めて、病気を忌み嫌う。
幸・不幸問題の解決のために、幸福を求めて、不幸を忌み嫌う。
善・悪問題の解決のために、善を求めて、悪を忌み嫌う。
賢・愚問題の解決のために、賢を求めて、愚を忌み嫌う。
支配・被支配問題の解決のために、支配を求めて、被支配を忌み嫌う。
強・弱問題の解決のために、強を求めて、弱を忌み嫌う。
男・女問題の解決のために、男を求めて、女を忌み嫌う。
という間違った二元論、いわゆる、好いとこ取りの相対一元論に陥っているのです。
二元論問題を解決できないで、間違った二元論、いわゆる、好いとこ取りの相対一元論に陥った生は必ず地獄への墜落死をするのです。