第三十一章 地球の心の琴線

意識して生きているわたしたち人間にとって、自殺が唯一の死の形態であると看破した者こそ謙虚な生き方をする。
つまり、謙虚とは意識的であるということに他なりません。
では何に対して意識的であるのか。
真の親である地球に対して意識的である。
無意識に生きている他の生き物の無意識的さは地球に対して一体感(全体感)を持っている故です。
意識して生きている人間の意識的さは地球に対して独立観(部分観)を持っている故です。
一体感(全体感)だから無意識的でいい。
独立観(部分観)だから意識的でなければならない。
ところが、わたしたち人間は地球に対して意識的ではない。
だから、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれるのです。
では地球に対して意識的になるとは一体どういうことなのか。
地球の意識と感応することこそが地球に対して意識的であることに他なりません。
わたしたち人間にも意識と心があるように、地球にも意識と心がある。
拙著「夢の中の眠り」では、心のことを「想い」と定義しています。
拙著「神の自叙伝」では、地球の「想い(心)」のことを「カミ」と称しています。
「こころの琴線」の「こころ」とは「想い」に他ならない。
つまり、「想いの琴線」と言い換えていい。
地球の「想い(心)」の琴線に触れるとは、地球の重力に感応することに他なりません。