第三章 死という約束事

人生で確実なことはいつか死ぬということです。
それ以外のことは一切確実でない。
この事実は何を意味しているのか。
死だけが唯一の約束事だということです。
唯一の約束事が、楽しい約束事なのか、嫌な約束事なのかの違いによって、その人の人生は決定されます。
楽しい約束事なら必ず守ります。
嫌な約束事ならつい破ります。
楽しい約束事とは大事な約束事のことと言ってもいい。
嫌な約束事とは些細な約束事のことと言ってもいい。
しかし、死という約束事は、大事であろうが、些細であろうが、お構いなく突然やってきます。
わたしたち人間ほど、どうしようもない生き物は他にはない。
犬は三日の恩を一生忘れない。
鶏は一生の恩を三日で忘れる。
人間は一生の恩を一瞬で忘れる。
ペットブームの巷でよく聞く台詞、“犬は絶対裏切らない!”
そういう自分こそが、裏切り・裏切られの人生を送ってきた証の台詞なんでしょう。
他人(ひと)からよくしてもらった時は、“わたしはあの人の恩を一生忘れない!”と厚顔無恥に吐くのですが、その他人(ひと)からいやな一言を言われるだけで、その恩を忘れて、“わたしはあんな人とは一生つきあっていけない!”と仇で返すのです。
そんな人間が現代日本社会には溢れています。
“今日の友は明日の敵”は必ず“今日の敵は明日の友”と表裏一体の関係にあることに気づいていないからです。
そんな人間は、裏切り・裏切られの一生を必ず送ります。
そんな人間は、大事な約束事と些細な約束事を必ず区分けします。
そんな人間は、大事な約束が入れば、些細な約束事を先にしていても平気で破り、“それは自分の為には当然!”と思い違いをしています。
そんな人間は、自分の為にすることは、他人の為にすることと相反していると思い違いをしています。
だから大事な約束事と大事でない(些細な)約束事に区分けするのです。
約束事に、大事と、大事でない(些細な)の区分けなどない。
約束は約束なのです。
約束を破る人と、約束を破らない人の違いがあるだけです。
約束を破る人は、唯一の約束事である死から見放されることは必定です。
裏切り・裏切られの一生の結末は、死から裏切られる羽目に陥るのです。
死から裏切られない為には、日頃の些細な約束事を必ず守る生き方が問われるのです。