第七十一章 死中活あり

永遠の眠りとは永遠の完全熟睡、つまり、五感の完全停止による完全な死であり、生き返るとは一時的完全熟睡、つまり、五感の一部機能再開による不完全な死からの帰還に他ならない。
従って、夢から醒めることこそ死の一瞥に他ならない。
逆説的に言えば、
死の中に生があり、生の一瞥を死の中でしている。
荘子の有名な逸話があります。

ある朝憂鬱な表情をしている荘子に弟子が訊ねた。
“どうかしたのですか?”
“蝶々になった夢を観たからだ”
荘子が弟子に答えた。
“蝶々になった夢を観て、どうしてそんなに憂鬱なんですか?夢から醒めたから問題ないでしょう?”
弟子の質問にますます憂鬱な表情をして荘子が言った。
“そこが問題だ!人間である私が蝶々になった夢を観たのか、蝶々である私が人間になった夢を観ているのか、どちらが現実で、どちらが夢なのか、判らなくなってしまったからだ!”

わたしたちは、生と死を二律背反関係、つまり、対立二元要因として捉え、更には“生が好くて、死が悪い”という好いとこ取りをするという二重の錯覚をして生きています。
ところが実は、
死が実在で、生は死の不在概念に過ぎない。
言い換えれば、
死の中に生があり、生の一瞥を死の中でしているのです。
死を否定したり、死を忌み嫌ったり、死を先伸ばしすることは、自己否定していることに他ならないのです。