第五十八章 支配・被支配の概念

“支配が好くて被支配が悪い”という考え方が、わたしたち人間の錯覚だったのです。
蓄積の概念を生んだ農耕社会が、持つ者、つまり、富める者と、持たざる者、つまり、貧しい者という貧・富の概念を生み、富める者=善者=強者=オス(男)=賢者=支配者、貧しい者=悪者=弱者=メス(女)=愚者=被支配者という二層構造の社会をつくった結果、わたしたち人間社会だけに差別・不条理・戦争という悲劇が繰り返されてきたのです。
支配・被支配(支配する者・支配される者)が差別・被差別(差別する者・差別される者)をつくったのです。
支配・被支配(支配する者・支配される者)が不条理・被不条理(不条理をする者・不条理をされる者)をつくったのです。
支配・被支配(支配する者・支配される者)が戦争・被戦争(戦争をする者・戦争をされる者)をつくったのです。
畢竟、支配とは、実体などなく、被支配の不在概念に過ぎません。
好い・悪いというのは、自我意識(エゴ)にとっての好い・悪いという判断であって、本当の自分、つまり、全体観にとっては好い・悪いといった判断など一切ないのです。
自我意識(エゴ)は実現能力を一切持っていません。
何故なら、自我意識(エゴ)とは、過去・現在・未来に「想い」を馳せる部分観に他ならないからです。
実現能力を持っているのは、『今、ここ』を生きる全体観であります。
『今、ここ』を生きる全体観には自我意識(エゴ)が介入する余地はありません。
従って、
成熟した自我意識(エゴ)で以って、『今、ここ』を断続的であっても生きる以外、わたしたち人間にとっての道はありません。
そのためには、
“被支配が好くて支配が悪い”とするコペルニクス的どんでん返しの考え方に変わらなければならないのです。
それがまさに、正しい概念(正しい「考え方」)に他なりません。
“支配が好くて被支配が悪い”という考え方こそが、支配・被支配の概念(支配・被支配の間違った知識=支配・被支配の間違った「考え方」)なのであります。
つまり、
“奴隷になりたくない”、“差別されたくない”、“不条理な目に遭いたくない”、“戦争に行きたくない”という被支配(被差別・被不条理・被戦争)の(不在)概念こそが、“支配が好くて被支配が悪い”、“差別が好くて被差別が悪い”、“不条理が好くて被不条理が悪い”、“戦争が好くて被戦争が悪い”という支配(差別・不条理・戦争)・被支配(被差別・被不条理・被戦争)の概念[支配(差別・不条理・戦争)・被支配(被差別・被不条理・被戦争)の間違った知識=支配(差別・不条理・戦争)・被支配(被差別・被不条理・被戦争)の間違った「考え方」]に他ならないのであります。
差別・不条理・戦争は、差別する者と差別される者、不条理をする者と不条理をされる者、戦争をする者と戦争をされる者に区分けされているだけだった。
戦争は、自国家の為、自国民の為に為されてきたのではなく、一部支配者の為、一部差別をする者の為、一部不条理をする者の為、一部戦争をする者の為に為されてきたのです。
人間社会の実相は、国家や社会や会社や家族などあったわけではなく、支配する者と支配される者の二層構造があっただけです。
今こそわたしたちは、そのことに気づかなければなりません。