第五十三章 貧・富の概念

“富が好くて貧が悪い”という考え方が、わたしたち人間の錯覚だったのです。
蓄積の概念を生んだ農耕社会が、持つ者、つまり、富める者と、持たざる者、つまり、貧しい者という貧・富の概念を生み、富める者=善者=強者=オス(男)=賢者=支配者、貧しい者=悪者=弱者=メス(女)=愚者=被支配者という二層構造の社会をつくった結果、わたしたち人間社会だけに差別・不条理・戦争という悲劇が繰り返されてきたのです。
農耕社会が出現する以前の狩猟社会、つまり、自然社会では、糧は今日の糧しかなく明日の糧はないのが、当たり前の全員が持たざる者、つまり、貧しい者で成立していた。
人間社会だけにある持つ者、つまり、富の概念など、自然(地球)社会には一切なく、全員が持たざる者、つまり、貧が実在であるのです。
好い・悪いというのは、自我意識(エゴ)にとっての好い・悪いという判断であって、本当の自分、つまり、全体観にとっては好い・悪いといった判断など一切ないのです。
自我意識(エゴ)は実現能力を一切持っていません。
何故なら、自我意識(エゴ)とは、過去・現在・未来に「想い」を馳せる部分観に他ならないからです。
実現能力を持っているのは、『今、ここ』を生きる全体観であります。
『今、ここ』を生きる全体観には自我意識(エゴ)が介入する余地はありません。
従って、
成熟した自我意識(エゴ)で以って、『今、ここ』を断続的であっても生きる以外、わたしたち人間にとっての道はありません。
そのためには、
“貧が好くて富が悪い”とするコペルニクス的どんでん返しの考え方に変わらなければならないのです。
それがまさに、正しい概念(正しい「考え方」)に他なりません。
“富が好くて貧が悪い”という考え方こそが、貧・富の概念(貧・富の間違った知識=貧・富の間違った「考え方」)なのであります。
つまり、
“貧しくなりたくない”という貧の(不在)概念こそが、“富が好くて貧が悪い”という貧・富の概念(貧・富の間違った知識=貧・富の間違った「考え方」)に他ならないのであります。