第五十二章 賢・愚の概念

“賢が好くて愚が悪い”という考え方が、わたしたち人間の錯覚だったのです。
愚者を罪悪視してきたのがこれまでの常識の結果、わたしたち人間社会だけに差別・不条理・戦争という悲劇が繰り返されてきたのです。
人間の歴史は、強者を支配者にし、強者に賢者が与し、弱者である被支配者を奴隷にしてきた。
孔子が支配者に与してきた賢者であり、世間から隔絶されて生きてきた老子を愚者としてきた。
アリストテレスが支配者・アレキサンダーに与してきた賢者であり、世間から隔絶されたディオゲネスを愚者としてきた。
ところが、支配者側であり賢者である筈の孔子やアリストテレスは、乞食同然の愚者である筈の老子やディオゲネスを恐れていた。
好い・悪いというのは、自我意識(エゴ)にとっての好い・悪いという判断であって、本当の自分、つまり、全体観にとっては好い・悪いといった判断など一切ないのです。
自我意識(エゴ)は実現能力を一切持っていません。
何故なら、自我意識(エゴ)とは、過去・現在・未来に「想い」を馳せる部分観に他ならないからです。
実現能力を持っているのは、『今、ここ』を生きる全体観であります。
『今、ここ』を生きる全体観には自我意識(エゴ)が介入する余地はありません。
従って、
成熟した自我意識(エゴ)で以って、『今、ここ』を断続的であっても生きる以外、わたしたち人間にとっての道はありません。
そのためには、
“愚が好くて賢が悪い”とするコペルニクス的どんでん返しの考え方に変わらなければならないのです。
それがまさに、正しい概念(正しい「考え方」)に他なりません。
“賢が好くて愚が悪い”という考え方こそが、賢・愚の概念(賢・愚の間違った知識=賢・愚の間違った「考え方」)なのであります。
つまり、
“愚かになりたくない”という愚の(不在)概念こそが、“賢が好くて愚が悪い”という賢・愚の概念(賢・愚の間違った知識=賢・愚の間違った「考え方」)に他ならないのであります。