第五十章 善・悪の概念

“善が好くて悪が悪い”という考え方が、わたしたち人間の錯覚だったのです。
偽の善、つまり、偽善を善だとしてきたのがこれまでの常識の結果、わたしたち人間社会だけに差別・不条理・戦争という悲劇が繰り返されてきたのです。
本来、善とは悪の不在概念である偽善以外にないのであって、偽悪という言葉などないことが、悪が実在で善は悪の不在概念に過ぎない証左です。
好い・悪いというのは自我意識(エゴ)にとっての好い・悪いという判断であって、本当の自分、つまり、全体観にとっては好い・悪いといった判断など一切ないのです。
自我意識(エゴ)は実現能力を一切持っていません。
何故なら、自我意識(エゴ)とは、過去・現在・未来に「想い」を馳せる部分観に他ならないからです。
実現能力を持っているのは、『今、ここ』を生きる全体観であります。
『今、ここ』を生きる全体観には自我意識(エゴ)が介入する余地はありません。
従って、
成熟した自我意識(エゴ)で以って、『今、ここ』を断続的であっても生きる以外、わたしたち人間にとっての道はありません。
そのためには、
“悪が好くて善が悪い”とするコペルニクス的どんでん返しの考え方に変わらなければならないのです。
それがまさに、正しい概念(正しい「考え方」)に他なりません。
“善が好くて悪が悪い”という考え方こそが、善・悪の概念(善・悪の間違った知識=善・悪の間違った「考え方」)なのであります。
つまり、
“悪くなりたくない”、つまり、“偽善”という悪の(不在)概念こそが、“善が好くて悪が悪い”という善・悪の概念(善・悪の間違った知識=善・悪の間違った「考え方」)に他ならないのであります。