第五章 安心立命の境地=死

自分の命は自分で絶つと決意することで、人生の不確定要素が確定要素に変貌する。
生きるということは不確定要素の中を流れることであります。
平たく言えば、静止と運動の相対的繰り返し行為に他ならない。
死ぬということは不確定要素が確定要素になることであります。
平たく言えば、絶対静止することに他ならない。
運動には絶対運動というものはなく、静止と運動の相対運動しかないように、生には絶対生というものはなく、死と生の相対生しかないのです。
静止には絶対静止しかないように、死には絶対死しかないのです。
死が随所にある所以です。
不確定要素とは相対運動の中にあり、相対生の中にあるものです。
確定要素とは絶対静止の中にだけあり、絶対死の中にだけあるのです。
ところが、“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念を持ったわたしたち人間は、死を不確定要素の中に閉じ込めているのです。
死を不確定要素の中に閉じ込めて、生を確定要素の中に閉じ込めようとする。
これは土台無理な話であります。
生きることは不確定要素の中を流れる危険な状態に他ならない。
死ぬことが確定要素の中に静止する安心立命な状態に他ならない。
わたしたち人間も生き物の一つであり、そのことを本能的に知っているのです。
だから、“いざとなれば死ねばよい”ということを潜在意識下で知っているのです。
自分の命は自分で絶つと決意することでしか、死の概念を持った人間の生きる道は無いのです。