第四十八章 生・死の概念

“生が好くて死が悪い”という考え方が、わたしたち人間の錯覚だったのです。
死をタブー視してきたのがこれまでの常識の結果、わたしたち人間社会だけに差別・不条理・戦争という悲劇が繰り返されてきたのです。
好い・悪いというのは、自我意識(エゴ)にとっての好い・悪いという判断であって、本当の自分、つまり、全体観にとっては好い・悪いといった判断など一切ないのです。
自我意識(エゴ)は実現能力を一切持っていません。
何故なら、自我意識(エゴ)とは、過去・現在・未来に「想い」を馳せる部分観に他ならないからです。
実現能力を持っているのは『今、ここ』を生きる全体観であります。
『今、ここ』を生きる全体観には自我意識(エゴ)が介入する余地はありません。
従って、
成熟した自我意識(エゴ)で以って、『今、ここ』を断続的であっても生きる以外、わたしたち人間にとっての道はありません。
そのためには、
“死が好くて生が悪い”とするコペルニクス的どんでん返しの考え方に変わらなければならないのです。
それがまさに、正しい概念(正しい「考え方」)に他なりません。
“生が好くて死が悪い”という考え方こそが、生・死の概念(生・死の間違った知識=生・死の間違った「考え方」)なのであります。
つまり、
“自分もいつか必ず死ぬ”、つまり、“死にたくない”という死の(不在)概念こそが、“生が好くて死が悪い”という生・死の概念(生・死の間違った知識=生・死の間違った「考え方」)に他ならないのであります。