第四十四章 究極の「考え方」(2)

“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念は、間違った死の観念に他ならない。
過去・現在・未来という時間の概念は、間違った時間の観念に他ならない。
人間の上位に君臨する神の概念は、間違った神の観念に他ならない。
概念とは、間違った観念に他なりません。
観念とは、正しい概念に他なりません。
概念とは、「考え方」と言い換えてもいいでしょう。
観念とは、「在り方」と言い換えてもいいでしょう。
従って、
概念(「考え方」)とは、間違った観念(「在り方」)に他なりません。
観念(「在り方」)とは、正しい概念(「考え方」)に他なりません。
地球という惑星は、四十八の法則、つまり、十六通りの「二元論」、十六通りの「在り方」と「考え方」、十六通りの「全体と部分の相対性の法則」に則して存在しています。
人間という有機生命体の最も進化した生き物が「考える葦」に成り得たのは、まさに、十六通りの「在り方」と「考え方」が、観念と概念に形を変えたことの結果であると言えます。
では、正しい概念(「考え方」)である観念(「在り方」)とは如何なるものでしょうか。
“生と死は同じで、死が本質であり、生は死の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“オスとメスは同じで、メスが本質であり、オスはメスの不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“善と悪は同じで、悪が本質であり、善は悪の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“強と弱は同じで、弱が本質であり、強は弱の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“賢と愚は同じで、愚が本質であり、賢は愚の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“富と貧は同じで、貧が本質であり、富は貧の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“幸福と不幸は同じで、不幸が本質であり、幸福は不幸の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“天国と地獄は同じで、地獄が本質であり、天国は地獄の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“健康と病気は同じで、病気が本質であり、健康は病気の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“神と悪魔は同じで、悪魔が本質であり、神は悪魔の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。
“支配者と被支配者は同じで、被支配者が本質であり、支配者は被支配者の不在概念に過ぎない”という「在り方」、つまり、正しい「考え方」です。