第三章 すべて自分独りで決める人生

病気になって苦しむ日々。
お金がなくて苦しむ日々。
人との軋轢で苦しむ日々。
思い通りにならない日々。
仏教で言う四苦八苦。
生きる苦、老いる苦、病の苦、死の苦、更に、愛する者と別離する愛別離苦、怨み憎しむ者と出会う怨憎会苦、求めて得られぬ求不得苦、肉体が求める本能欲に苛まれる五陰盛苦の四苦八苦は、順風満帆の人生を送っている人でも日常茶飯事の心情であり、まさに、考える能力を得た人類の宿命であります。
“いや!わたしは何も大した苦労がなく、至ってルンルンの人生を送っている!”と主張される方は、その感性の鈍感さを嘆くべきであります。
苦を感じるのは、痛みや快さを感じるのと同じで五感能力の問題なのです。
苦を感じないのは、痛みも感じない替わりに快さも感じないのです。
快さを感じるのは、痛みや苦を感じる能力があるからです。
わたしたち人間、特に現代人の意識が眠っている最大の原因が五感能力の欠如にあり、昔に比べて情報過多の現代社会は苦の原因で氾濫している社会と言っても過言ではなく、そんな世の中での自己防衛策が鈍感になる、つまり、意識を眠らせることに他ならないのです。
それなら、幸福を求めてはいけません。
なぜなら、不幸を避けているからです。
ところが、“いや!わたしは何も大した苦労がなく、至ってルンルンの人生を送っている!”と主張される方でも幸福は求めておられる筈です。
まさに、“幸福が好くて不幸が悪い”と思っておられる、つまり、好いとこ取りをされておられるわけで、これは絶対不可能な考え方なのです。
“幸福と不幸は同じで、不幸が本質であり、幸福は不幸の不在概念に過ぎない”。
これが実現可能な在り方なのです。
結局の処、
生と死の問題がこういった矛盾の底流にあるのです。
“生が好くて死が悪い”という考え方で、意識を眠らせて鈍感に生きるのか。
それなら、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生から逃れることは出来ません。
“生と死は同じで、死が本質であり、生は死の不在概念に過ぎない”という在り方で、意識を覚醒させて敏感に生きるのか。
それなら、悩みや苦、そして、死の恐怖に苛まれる人生とは無縁の人生を送ることが出来ます。
それは自分独りで決めるもので、他人には全く関係ありません。