第二十一章 時間の目盛り

“死は随所にある”
野生の生き物にとって常識である。
まさに、死の観念とは『今、ここ』という時間(垂直世界の虚時間)の観念に他ならない証左であります。
野生の生き物が持っている体内時計の目盛りは虚時間の目盛りである。
従って、死の観念とは虚時間の観念、つまり、『今、ここ』に他なりません。
“死は随所にある”証左であります。
食べたいから食べ、眠たいから眠り、セックスしたいからセックスする。
それらの欲望は体内時計の目盛りである虚時間に基づいて発生するもので、未来という目盛りである実時間に基づいているものではありません。
だから、明日のための糧、明日のための睡眠、明日のためのセックスの意識など一切ありません。
一方、
“死はいつか必ずやって来る”
知性を得た生き物・人間の常識である。
まさに、死の概念とは未来という時間(水平世界の実時間)の概念に他ならない証左であります。
わたしたち人間が持っている時計の目盛りは実時間の目盛りである。
従って、死の概念とは実時間の概念、つまり、過去・現在・未来に他なりません。
“死はいつか必ずやって来る”証左であります。
午前7時になったから起きたくもないのに無理やり起き、午後0時になったから食べたくもないのに無理やり食べ、午後10時になったから眠たくもないのに無理やり眠ろうとし、午後10時に無理やり眠るために無理やりセックスする。
それらの欲望は時計の目盛りである過去・現在・未来という実時間に基づいて発生するもので、『今、ここ』いう目盛りである虚時間に基づいているものではありません。
だから、明日のための糧、明日のための睡眠、明日のためのセックスをし、挙句の果てに、明日のための差別・不条理・戦争に明け暮れるのであります。