第十五章 怖くない死

わたしたちは、『今』という時間軸の汽車に乗って人生という錯覚の旅をしている。
窓外には、本来静止している『ここ』という空間軸の景色が動いているように観える。
錯覚とは、自分が動いていて景色が止まっているのに、恰も自分が止まっていて景色が動いているように観えることに他ならない。
この錯覚に気づき、人類に警鐘を鳴らした最初の人間がコペルニクスです。
自分たちが乗っている地球号という汽車が止まっていて窓外の景色である天が動いていると想い込んでいた当時の人間は、自分たちが乗っている汽車が実は動いていて窓外の景色が止まっていると主張したコペルニクスを気狂い扱いしたのです。
ところがおよそ500年経った現在では、コペルニクスの主張を気狂い扱いする人間は一人もいない筈なのに、依然500年前の人間と同じように、自分が動いていて景色が止まっているのに、恰も自分が止まっていて景色が動いていると錯覚しているのです。
『今』という時間軸の汽車に乗って、『ここ』という空間軸の景色を観ている。
まさに時間軸と空間軸は交差していない証左であり、アインシュタインの相対性理論とハイゼンベルグの不確定性原理では、ハイゼンベルグに軍配が上がるのです。
死ぬとは、『今』という時間軸の汽車から『ここ』という空間軸の景色(駅)に下車することに他なりません。
その時はじめて、自分(汽車)が止まっていて景色が動いていると想い込んできたことが錯覚で、実は自分(汽車)が動いていて景色は止まっていたことに気づくのです。
だから下車する、つまり、死ぬことができるのです。
死ぬことが怖いのは、自分(汽車)が止まっていて景色が動いていると錯覚していたからで、景色が止まっているなら下車(死)は怖くない筈です。
死を怖いと想い込んできたことは錯覚だったのです。
その錯覚から解放されるには、『今、ここ』の正体を理解することです。