第十二章 『今』と『ここ』

自我意識(エゴ)が、『今、ここ』にいることを邪魔して、過去・現在・未来という時間に想いを馳せさせる。
四苦八苦の元凶であると仏教が云う煩悩とは、過去・現在・未来という時間に想いを馳せることに他なりません。
つまり、時間に振り回されているわけです。 
つまり、死に振り回されているわけです。
ところが、人間の知性たる所以は、時間の概念=死の概念を持ったことにあるのですから、今更、煩悩を断てと云われてもどうしようもありません。
自我意識(エゴ)を更に一歩前へ進めて、成熟した自我意識(エゴ)へ成長させるしか道はない。
生きている(動いている)限り、悟りとは程度(速度=運動量)の問題であって、ゴール(位置)の問題ではない。
『今、ここ』を生き切れと言われてもなかなかできない。
『今』という時間軸と『ここ』という空間軸は交差していない。
空間という三次元世界の上に時間という四次元要因が君臨するという、アインシュタインの相対性理論は明らかに間違っている。
若しそうなら、わたしたち人間はみんな『今、ここ』を生き切ることができ、悟りを開くことができる筈です。
『今』という時間軸と『ここ』という空間軸は交差していないから、『今、ここ』を生き切ることができない。
『今、ここ』を生き切っている他の生き物には時間の概念がない。
死=時間。
『今』と『ここ』の関係が究極の問題である。
“位置と運動量は同時に確定できない”、つまり、“動いているものの位置は決定できないし、止まっているものの速度は決定できない”と言う、ハイゼンベルグの不確定性原理がその真理をわたしたちに伝えているのです。