第二十八章 道理に合わない死に方

自然死は無意識の自殺であり、無意識の中で誕生・生・死という円回帰運動をしているものの死に方です。
全体感で生きている(運動している)ものの死に方と言ってもいいでしょう。
従って、意識の自殺とは、意識の中で誕生・生・死という円回帰運動をして
いる者の死に方です。
部分観で生きている(運動している)者の死に方と言ってもいいでしょう。
わたしたちが生きている世界(宇宙)では「全体と部分の相対性の法則」が働いている、と拙著「夢の中の眠り」でお話しました。
平たく言えば、“すべてのものは「全体」であり且つ「部分」でもある”という法則であり、“地球は太陽の部分であるが、人間の体の全体でもある”、“人間の体は地球の部分であるが、心臓の全体でもある”といった具合に、すべてのものは「全体」であり且つ「部分」であるわけです。
心臓が一日24時間/一年365日無休で動いているのは「全体」としての心臓だからであり、地球が一日24時間/一年365日無休で動いているのと同じメカニズムだからです。
一日24時間/一年365日無休で動いているものは「全体感」という無意識のことであります。
一日24時間/一年365日無休で動いていないものは「部分観」という意識のことであります。
わたしたちの生き方を考えてみると、心臓や他の内臓のように一日24時間/一年365日無休で動いているものと、目や耳や鼻や口(舌)や手足(皮膚)といったいわゆる五感のように動いている時(目が覚めている時・・・)と休んでいる時(眠っている時・・・)とがある一日24時間/一年365日無休でないものとがあります。
一日24時間/一年365日無休のものは無意識つまり「全体感」で動いています。
一日24時間/一年365日無休でないものは意識つまり「部分観」で動いています。
「全体感」つまり無意識で生きているものは、無意識の死に方つまり自然死します。
従って、「部分観」つまり意識で生きているものは、意識の死に方つまり自殺するのが当たり前なのです。
ところが、わたしたち人間は「部分観」つまり意識で生きているのに、病死や事故死といった無意識の他殺で死んでいる。
これは道理に合わない死に方です。