第二十五章 錯覚の人生

“死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっているし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっている。”
わたしたちはこの考え方を支持しているから、死を忌み嫌い、輪廻転生という考え方を生みだしたわけです。
死に対する間違った姿勢が錯覚の人生を送る元凶になっていることに、わたしたちは気づかなければなりません。
人生、つまり、生きていく中で、金持ちに憧れ、貧乏を忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、健康を求め、病気を忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、幸福を求め、不幸を忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、善を求め、悪を忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、賢さを求め、愚かさを忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、支配者(権力者)に憧れ、被支配者(奴隷)を忌避することは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、強い者に憧れ、弱い者を忌み嫌うことは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
人生、つまり、生きていく中で、男に憧れ、女を忌み嫌う男性社会を維持することは錯覚であり、その原因は、死んだ者は生きている者の気持ちもわかっているという間違った姿勢にある。
この死に対する間違った姿勢が、これらの錯覚を引き起こし、人生を苦渋に満ちたものにしているのです。
わたしたちの考え方を根本的に変えなければなりません。