第二十二章 支配・被支配問題は絵に描いた餅

支配者の気持ちは被支配者にはわからないし、被支配者の気持ちは支配者にはわからない。
では、わたしたちが支配者(権力者)に憧れ、被支配者(奴隷)を忌避するのは何故でしょうか。
“死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっているし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっている。”
わたしたちはこの考え方を支持しているから、死を忌み嫌っているだけで、実はそうではないことを前章で述べました。
そうであるなら、“被支配者(奴隷)は支配者(権力者)と被支配者(奴隷)の両方を経験しているから、被支配者(奴隷)の気持ちも支配者(権力者)の気持ちも両方わかっているし、支配・被支配問題という一枚のコインの本質もわかっている”という考え方が、被支配者(奴隷)を忌避する原因であり、実はそうではないことになります。
結局の処、
支配者(権力者)の気持ちは被支配者(奴隷)にはわからないし、被支配者(奴隷)の気持ちは支配者(権力者)にはわからない。
そうしますと、支配・被支配問題という一枚のコインの本質が見事に観えてきます。
生まれた時から死ぬまで、支配者(権力者)は支配者(権力者)であり続け、被支配者(奴隷)は被支配者(奴隷)であり続けた場合に限って、支配者(権力者)の気持ちは被支配者(奴隷)にはわからないし、被支配者(奴隷)の気持ちは支配者(権力者)にはわからないのです。
支配・被支配問題という一枚のコインの本質は、支配者(権力者)は生まれた時から死ぬまで支配者(権力者)であり、被支配者(奴隷)も生まれた時から死ぬまで被支配者(奴隷)であるという点にあるのです。
では、支配者(権力者)は生まれた時から死ぬまで無条件に支配者(権力者)でいられるでしょうか。
自然と一体感で生きている他の生き物の世界には支配・被支配二層構造と世襲・相続を表裏一体とする差別意識はありません、つまり、生まれてから死ぬまで公正・平等であり続ける。
自然と一体感で生きていない人間の世界だけに支配・被支配二層構造と世襲・相続を表裏一体とする差別意識があります、つまり、生まれてから死ぬまで不条理・差別が横行する。
結局の処、公正・平等とは自然との一体感であることに他ならず、不条理・差別とは自然との一体感を失う、つまり、部分観であることに他なりません。
自然とは地球のことであります。
真の親である地球との一体感とは、真の親である地球の想いである重力を感じることです。
真の親である地球との一体感を失って、真の親である地球の想いである重力を感じることが出来なくなった人間だけが、生まれてから死ぬまで不条理・差別を続け、挙句の果てに、不条理・差別の死に至るから、死を怖れるのです。
唯物思想の科学偏重の現代社会に生きているわたしたちは、支配力(権力・金力)によって支配者(権力者)になれると信じています。
この考え方は実は幻想に過ぎないのです。
支配・被支配問題という一枚のコインの本質は、真の親である地球の重力を感じることで地球との一体感を持つ他の生き物は生まれた時から死ぬまで公正・平等であり、真の親である地球の重力を感じることが出来ない部分観を持つ人間だけが生まれた時から死ぬまで不条理・差別であるという点にあるのです。
公正・平等の他の生き物の気持ちは不条理・差別な人間にはわからないし、不条理・差別な人間の気持ちは公正・平等の他の生き物にはわからない。
だから、他の生き物は死を知らないのに、人間だけが死を知り、死を怖れて生きているのです。
生まれてから死ぬまで公正・平等なら、死の概念はない。
生まれてから死ぬまで不条理・差別だから、死の概念を持つ。
死の概念を持ち、死を怖れて生きているわたしたち人間だけが、生まれてから死ぬまで不条理・差別を続けるのです。
結局の処、支配・被支配問題という一枚のコインは、生・死問題という一枚のコインが変形しただけに過ぎません。
死の問題を解決しない限り、支配・被支配問題など絵に描いた餅に過ぎません。