第八十一章 開放型自由社会主義―社会モデル(1)

「開放型自由社会主義」を提唱し、政治モデルおよび経済モデルの仮説を提案いたしました。
残るは社会モデルであるわけですが、政治および経済モデルが形而下学的要素の強い面を有しているのに対し、社会モデルは形而上学的要素が極めて強いと言ってもいいでしょう。

衣・食・住の心配がない社会

我々がこれから向かうべき「高度自由社会」については、これまで個人の自覚ということを常に念頭に置き、現代社会に蔓延る拝金主義思想からの脱却、組織の時代から個人の時代への移行、そして古代・中世・近代から現代社会へと延々と続いている支配・被支配二層構造を打ち破る本当の意味での人類の進歩を目差してきました。
政治モデル・経済モデルを受け入れるための基本ベースとなる社会モデルが当然必要となってきます。
「高度自由社会」とは言い換えれば、個人におけるあらゆる束縛からの解放社会である。
それでは私たち一般人が現在、最も束縛を受けているといえるものは何なのでしょうか。
現代人においては言うまでもなく、安定した生活の糧を得るための活動、すなわち勤労・労働の形態に対する束縛でしょう。
そしてその典型的な例が被雇用者、所謂サラリーマンが受けている束縛であります。
今の生活を守るために、更に将来的にもっといい生活が出来るようになるために、生活の安全・安定を求めるがゆえに、自分の本来性を閉じ込めて生きている場面が最も多いのがこの被雇用者層です。
“生きていく”言わば常に十分な衣・食・住を確保し、将来に向け安定した糧を蓄えておこうとする活動の必要性(それによる貯蓄の概念)自体が、人間社会における支配・被支配二層構造の原点であるのです。
我々は生きていくに際して、不安要素を極小化するために蓄えを持とうとします。
自分の寿命、将来の社会の動き自体が把握不可能な状態で、安心を求めて蓄えようとするのですから、実際にどれだけ持っていたらいいのかわかるべくもなく、更に更にと求めてしまう。
地球上のあらゆる生き物の中で、生きていく為の不安(死という概念と言ってもいいでしょう)という実体のない感情(連想)を持つ生き物は人間のみであり、この感情が働く限り束縛からの解放は有り得ません。
逆説的に述べれば、生きていく為に必要な衣・食・住という基本要素さえ生涯保障されていれば、人間の思考回路は途轍もなく大きく変化するでしょう。
生活が保障されるわけですから、余分な蓄積(貯蓄)という概念がなくなります。
更に先に述べた被雇用者のように、生活を守る為・家族を守る為に自身の本来性を閉じ込めてまで組織に従属する必要も全くなくなるわけです。
生活保障があるのですから、犯罪の件数も減少することでしょう。
生に対する物質的な満足により、富の追求度合いは大きく減少するでしょうし、そうなれば現代社会に見られるような無益な争いごともなくなっていくことでしょう。
発展途上国に見られる物質的貧しさ故の人口の急増も食い止められるはずです。
衣・食・住の心配のない社会の構築。
新しい社会=「高度自由社会」の実現に対しては必須の条件なのです。