第七十七章 開放型自由社会主義―経済モデル(3)

金利が介入しない経済行為

経済の中で金融システムというのはいわば血管であり、血管の中を流れる血液がお金だと言われるように、お金というものがスムーズに流れずに滞ってしまうと、金融システムは動脈硬化を起こし深刻な病気を誘発してしまいます。
今の日本経済に目を向けますと、正に1400兆円とも言われる金融資産と1200兆円を超える財政赤字により、お金の流れは大きな障害を受け深刻な病に陥っている。
この深刻な動脈硬化を根本的に改善治療し、血行を良くするには、常にどんな関係であろうとも、国・企業・個人それぞれがお互いに貸し借りゼロの状態にしておくことが大切です。
拝金主義に染められた現代社会においては、猫も杓子も少しでも多くのお金を所有しようと血眼になっています。
元来お金というものの本質は、物と物を交換するときにその価値を表示する尺度であります。
実生活において本当に必要となるのは物資(物)であり、お金がいくらたくさんあっても、お金(貨幣)自体では何も出来ません。
お金がお金を生む資本主義の根本に金利の概念があり、資本主義の極致現象が拝金主義であり、拝金主義の最も洗練された形態であるマネーゲーム−金融派生商品(デリバティブ)−に代表されるように、実体のないバブル(仮想貨幣)が横行している現代社会です。
物々交換の手段だったはずのお金自体が一人歩きしてしまい、生きていく為の生活物資には全く困らないはずの人が、マネーゲームで破産状態にまで追い込まれる。
「高度自由社会」では、実体のないもの、複雑でわかりにくいもの、客観的にみておかしいと思うようなことは、どんどん淘汰され、消滅していくでしょう。
物であれば、本当にその物自体にどれだけの価値があるのか、人であれば、その人自体がどれほどの価値ある能力を備えているのかということが、より鮮明に映し出される正に個人の時代がやってくるのです。
その為にはお金というものの本質は単なる利便性のある「交換手段」へと戻しておく必要があります。
キャッシュフローと言われるとおり、お金が常に流れを保ち、滞りが起こらないようなシステム、いわば常に「貸し借りゼロ」のシステムが必要となってくるでしょう。
お金自体に価値がなく、単なる交換手段になるということは、これまで金利というものによって保たれていた当事者同士の信用・信頼関係は全く成り立たなくなります。
つまり交換手段としてのお金の融通は、本当の物の価値や個人の能力(その人の徳力と言ってもいいでしょう)によって判断されることになるのです。
物が主体で、お金が従属体の社会では、金利の概念は存在し得ないわけで、金利の存在しないマネーゲームなど発生しようがなく、経済の循環システムとしての金融は、金利の伴なう融資ではなく、本来物による投資となって行くでしょう。
金利による信用から、その物・その人の本質による信用へ。
金利が介入しない経済行為が行える社会こそ、真の「高度自由社会」と言えるのです。