第七十六章 開放型自由社会主義―経済モデル(2)

税が介入しない経済行為

「高度な自由」を実現させるためには何が必要か、という観点に立って、ここでは税の概念について考えてみたいと思います。
現代社会に生きるものとして、税金を払う義務があることは常識ですが、では税の概念はどういった経緯で発生したのでしょうか。
人間社会における支配・被支配二層構造が様々に形を変えつつも、未だに強固に機能していることは何度も申し上げて来ましたが、税の概念もまさしくそこに起因しています。
話を分かりやすくするために、野生動物の群れについて考えてみてください。群れには常にボスがいて絶対的な支配力を持っています。
一方で彼らは外敵に対しては先頭に立って命がけで戦います。
つまり群れの構成員は、外敵から守ってもらう代償として、ボスに絶対服従することが強いられているのであり、自然の摂理においては、それが暗黙のルールです。
人間も元々は猿から進化してきた以上、原始時代には、腕力で群れを支配するボスがいたのですが、その後、地球の支配者になる過程で、人間社会という群れの支配者が、個人から組織へと変遷し、外敵から守ってもらう反対給付として、自分の所属する組織に税を納める形態へと変化したのです。
それと並行して、経済活動の発展の結果、税の納付の形態が、労役・物資などの直接的なものから貨幣へと変遷しました。
加えて、税の対価としては国防以外に、社会保障や公共の福祉等の用途に使われる部分が大きいのも事実です。
しかし、本来の税負担の対価となっているのは外敵からの安全保障なのです。
近代社会を構成する根本の部分は、実は猿山の猿社会とあまり大差ないわけです。
現在の税負担のシステムは、人間社会独特の支配・被支配二層構造から生まれたものであり、かつそれを支える屋台骨でもあります。
「高度自由社会」の実現とは、まさしく支配・被支配二層構造からの脱却ですから、当然税についても新しい概念が必要となります。
税の概念の発端は外敵の存在ですから、外敵がなくなれば、税負担の必要は消滅することになります。
しかし、敵・味方のカテゴリー付けとは、あくまで主観に基づく以上、自分が相手を味方と思っていても、相手が自分のことを敵と看過するケースもあり、残念ながら、自分自身の心がけだけでは外敵をなくすことは出来ません。
むしろ他者に積極的に働きかけていく必要があります。
我々が求めているものは「高度な自由」です。
「高度な自由」を得るためには、当然のことながら「高度な責任」が要求されます。
「高度な責任」とは、外敵をなくすために積極的に他者・他国に働きかけて、友好関係とまでは行かなくても、緊張状態を緩和させることに尽力することに他なりません。
このように、安全保障に関するコストの低減を積み重ねることによって、税の必要性を極小化し、結果、税の概念を変えることが出来れば、現在の支配・被支配二層構造を根底から覆すことが可能となります。
何故なら支配の対価としての安全保障を、もはや国家に求める必要がないからです。
国家という組織のあり方も変更を迫られる筈です。
最後に、税のない社会がどのように運営されるか想像してみましょう。
積極的意味での外敵対策が国防であるのに対して、消極的意味での外敵対策が治安と言えるわけで、警察や消防などが従来その任にある組織ですが、これら役所が行ってきたサービスもすべて民営化されるでしょう。
人々は多様な選択肢から、自分の受けたいサービスを選び、その対価を個別に支払うと言った形態となります。
税コストの低減と、サービスの選択性の多様化は、一見個人にとって非常によいことばかりのように思えます。
それは一方では、親方日の丸の下、税金さえ払っていれば、黙っていても国がサービスしてくれる現在と比べて、大幅に個人責任の部分が増えることになります。
つまり、日常生活のかなり多くの部分で、自ら判断し、その行為に責任を持つことが要請されるのです。
「高度な自由」には「高度な責任」が伴うミクロ的側面といえます。