第六十八章 高度自由社会(6)

高度自由社会とは何か

誰にでも共通するというモノの価値を測る「ものさし」は、我々自身が確固たる「ものさし」を持っていないため、本質的な面では貨幣を利用し、共通性という面では他者の集団である組織を使ってきたわけであり、その行き着くところが現代拝金社会であったのです。
経済発展の歴史は、より効率的な組織の運営・維持の歴史であり、先進国が経済発展を遂げられたのは、人間の「知」を最大限に利用して来たためとも言えます。
その恩恵を多分に享受しているのが現代日本人であり、「知」に基づく社会を全面否定することは、現代では生活が出来ない様にも思われます。
「知」の行き着いた拝金主義社会の根幹をなす貨幣の特性は、貨幣そのものが価値を有する金・銀などによる本位貨幣ではなく、不換貨幣である紙幣が使用されています。
紙幣とは、それぞれの国の政府によって保証された「銀行券」であり、それ自体は何ら意味を持たないものであります。
つまり、国家に基づく信用だけで我々は貨幣を使用しているわけであり、国が倒れると貨幣も全く意味を有さないのです。
戦争が一度起これば紙屑と化すような、全幅の信頼を寄せるには余りにも心もとない存在です。
それなのに、実体を有さない貨幣に我々は日々右往左往させられているのです。
古代奴隷社会では、その名の通り奴隷と支配者。
中世社会では、奴隷の心の苦しみを解放するために機能していた宗教自体が権威となり、人々の精神的束縛を生み出していった状況。
近代社会では、人間の「知」に基づく客観性を重視する考えが、自然科学の発達による物質的な生活レベルの向上を齎した半面、国家や会社という組織が生まれ、持てる者と持たざる者の階級による利益社会が発現した状況。
古代、中世、そして近代という時代変遷において変わらないものは、支配と被支配の二層社会であるということです。
時代は変化しても、結局は古代の奴隷社会が基本となり、その延長線上に我々は生きているのです。
現代の支配者層は、極めて洗練された方法で我々一般大衆から掠め取っているため、なかなか目に見えにくいのは確かでありますが、少数の支配者と多数の被支配者という構図は何ら変わっていません。
高度自由社会とは、支配・被支配の二層構造がない、本当の自由で公正な社会であります。
高度自由社会に生きる者として求められるのは、現代の「ものさし」すなわち「価値尺度としての貨幣」や「他者の集団である組織」ではなく、新しい時代の「ものさし」である「自立」であります。
これまでの「貨幣の多寡」という実体のない「ものさし」からの脱却も意味するものです。
これからの社会では、いかなる国家であっても、いかなる人種であっても、いかなる経済状態であっても、同じ人間であるという公正な認識が極めて重要になってくるでしょう。
人が個人として自立し、他者との関係に左右されない独立した存在を志向するのが高度自由社会への入口であります。
高度自由社会を志向した個人は、国家あっての国民という考えから脱却し、国民あっての国家、更に言えば国家という概念のない社会へのドアをノックするでしょう。
組織の最大単位である国家が崩壊し、国家という概念のない社会へと移行するというのは、法律のない国家が発現することでもあります。
憲法や法律は、そもそも支配する者のためにあり、支配される者のためのものではないからです。