第六十六章 高度自由社会(4)

国家の消滅(国民あっての国家)

最近、企業における不正・隠匿が大きな社会問題のひとつとしてよく取上げられています。
多くの企業が掲げている基本理念のなかには、殆どと言っていいほど「社会に貢献する」と言う類の言葉が入っています。
それにも拘わらず、嘗ては信用を第一の売り物にしていたはずの「大企業」と呼ばれるところから、俗に言う人間の醜さを象徴するような事件が多く発生しています。  
「大企業」の事件が世間に発覚するきっかけとなっているのは、殆どが内部からの告発によってであります。
この現象は、一体何を意味しているのでしょうか。
個人の思惑も幾分かはあるかもしれませんが、総じて言えば、人間としての良心がその行為を許さなかったのではないでしょうか。
現代資本主義社会、現代自由競争社会とはすべてが、「自分達さえ良ければいい」、「自分が一番大事」を原点に形作られているように思えて仕方がありません。
逆に言えば、「自分さえ良ければ・・・」という自我意識中心の人間の思考回路が、現代の社会から消滅し「みんなが良くならなければ、自分が良くなることなどあり得ない」、「自分自身のことより、まず全体のことが第一である」という思考回路に変換されたら、今の世の中はどのように変わっていくのでしょうか。
強制的に秩序を維持させようとする法律や不可解な各種規制といった、山のような決まりごとは必要なくなるでしょう。
『他人を困らせるようなことは一切しない』 
所有する者(持つ者)は無い者(持たない者)に分け与え、分け与えられたものは、他の者に何か自分が役に立てることを見出し、それを別の者に与える。それぞれが自分(達)の得意なことに磨きをかけ、世の中の役に立とうとする。
全体のことを考えることが出来れば、全体として無益な競争(戦争)はなくなる筈です。
自分の立場を守ろうとする意識延いては行為がなくなるのですから、富が一箇所に集中(滞留)してしまうこともなくなり、富の概念の象徴とも言うべき「お金」自体が持つ価値は一変してしまうでしょう。
更に、現代社会に蔓延る隠し事(秘密)というものすら、存在しなくなります。
隠し事が無くなれば、世の中(物事)の仕組みは非常にシンプル且つ透明性のある、分りやすいものになってくる筈です。
況してや、みんなが暮らしやすいように各人が自発的に行動するのですから、租税という制度も必要なくなってきます。
人間社会全体が自立した自由な個人の集まりになれば、現代社会を築いている国家制度という枠組みも自ずと消滅して、「国家あっての個人」から「個人あっての国家」へ変身するでしょう。
「自分さえ良ければ・・・」という《自我意識中心の個人の意識》が、「みんなが良くならなければ・・・」という《全体中心の個人の意識》に変換されることで、社会の構造、つまり、世の中が大きく変化していくのです。
対蹠的に言えば、制度、組織、国家という「枠組みの世の中」が、個人の自我意識を増長させ、頑強なものへと育て上げていったのだと言えるのではないでしょうか。
現代資本主義の申し子とも言うべき大企業の活動の中においても、コンプライアンス活動(企業活動の透明性)というものが、最近急激に注目されるようになって来ました。
企業内での個人の役割というものも、自社(企業)の中で何をするのかという観点から、自社(企業)に対して何が出来るのかという個人重視の風潮が明確に高まってきています。
我が国の政治に関する世論調査を見ても、国民不在の政局運営への不満は誰の目にも明らかに大きくなってきています。
「国家(組織)という枠組みあっての個人」から「個人あっての国家(組織)」へ。
我々は既に、新しい社会に向けて着実に歩み始めていることは間違いありません。