第六十二章 束縛されない暮らし(8)

思いやりの深さ

床に座り込み眠り呆けている学生や、イヤホンから洩れるロックの無機質な音に気づかない若者。
起き抜けのだらしない顔に化粧を塗っているOLや、周りを憚らず大声で亭主の悪口を言い合う主婦。
自分だけ気持ちよく大鼾をかくサラリーマン。
電車の中でのごく当たり前で何の不思議も感じない風景。
利益社会(ゲゼルシャフト)の究極である現代拝金社会にどっぷりと浸かりきった我々は、他人との関係などに全く気を配ることを忘れてしまった鈍感な個性の集まりになってしまっている。
こういった大人たちに育てられた子供たちは、将来に希望と目標を持てない人間になってしまっています。
豊かさの「ものさし」をモノの量に置き、その量を計る行為を他者(組織)という器でして、その量の大小を競い合うことが社会の存在価値であると信じ込んできた究極の結果が現代社会であります。
日々の報道で喧伝される拝金主義の窮まりのような事件は、正に末世を感じさせます。
一方、この様な事件に惑わされずに、根本原因の本質を見極め、豊かさの「ものさし」を変えようという議論が随所で起ってきていることも事実です。
この窮まった社会の振り子現象も、いよいよやって来る新しい社会の逆モーメントの影響を受け始めているようです。
五感を通じて得た感覚で自他を選別し判断するのではなく、五感を包含する肉体全体で捉え、内観で接することが自他との一体感をつくる筈です。
人の為にすることが結局の処は自分自身を楽にすることに他ならないのです。
自我意識(エゴ)が無くなり、『徳』というものを積み上げていく結果になるのです。
思いやりの深さとは『徳』力の大きさに他なりません。
これからやって来る新しい社会は、『金』力より『徳』力がモノを言う時代であり、その「ものさし」の目盛りが「思いやりの深さ」です。