第五十七章 束縛されない暮らし(3)

束縛の歴史(3)

支配者の方便としての神・宗教が誕生するのもちょうどこの頃です。
この頃の多くの人類が受けている束縛とは、正に奴隷であることによる物理的束縛です。
そしてその物理的束縛は、本来厳しい生存環境から抜け出すために始められた農耕によって齎されたものでもあるのです。
負のサイクル構造がここに至って始まったのです。
古代奴隷社会の被支配者である奴隷は、同じ人間に生まれながら主人との立場の違いに当然ながら疑問を抱き、自らの境遇を嘆く筈です。
そして何らかの救いを求めずにはいられなかったのです。
そうした要請にぴったりと嵌って大きく発展したのがキリスト教です。
この宗教の特徴は「心の王国」です。
すなわち、現実世界の厳しさから逃れる術は無い代わりに、精神世界の安寧を与えることに成功した訳です。
キリスト教が布教された地域・時代はローマ帝国の最盛期であり、世界最強であったゆえに領内には多数の奴隷が存在した。
こうした奴隷の間に広がりを見せたキリスト教は、やがて支配者層にも広がり、ローマ帝国の国教となるに及んで、今日に至るまで西欧社会の精神的支柱で在り続けてきました。
ところが、キリスト教があまりにも勢力を増すことによって、それ自体が権威となって人々の生活規範を束縛するようになっていきます。
物理的束縛から精神的束縛に突入した時代です。
キリスト教の教義に疑問を差し挟むことは許されず、そこから逸脱した発想をすること自体がタブーとされてしまうようになったのです。
被支配者の心の苦しみを解放するために機能していた筈のキリスト教自体が、次第に「心の王国」を侵食していったと言えます。
この時代を古代と区別して中世と呼ぶのです。
やがて、こうした精神世界の束縛から逃れようする運動が始まります。
ルネッサンス以降の客観性重視の考え方は、自然科学の発展に特に大きく寄与し、人類の物質的な生活レベルの大幅な向上を齎しました。
しかし、もう一方の結果である、現代拝金主義社会においては、どこで道を誤ってしまったのか、人間はお金に縛られていきます。
客観性重視の手法をあまりにも組織の拡大維持に振り分けてしまったからです。
経済発展の歴史は、より効率的な組織の運営・維持の歴史でもあります。
人類は経済発展に重きを置くあまり、あまりにも組織の強化に努めた結果、組織による束縛に甘んじる状況に陥ってしまった訳です。