第五十四章 これからやってくる社会(8)

共生社会(3)

民主主義社会、組織重視の利益社会は、知力に長けた支配者側と、多くの被支配者側、つまり「人間という名のロボット」を齎しますが、現代は両者のバランスが極端に崩れた時代です。
それでは、「これからやって来る社会」とは一体どのようなものでしょうか。
利益社会を実現した現代社会は、共同社会時代とは量的にも質的にも全くかけ離れた規模に膨張してしまっています。
この状態を維持しながら新しい「豊かさ」を生み出すには、共同社会時代の情緒のみに頼るわけにはいかない、かといって拝金主義に社会を委ねてしまうわけにはいかない。
共同社会では人の持つ情緒によって絆が結ばれることで、こころ穏やかな家族や村という組織を構成することができた。
組織を維持することが人々の安全を守る事であったわけです。
しかし、豊かさの一つの要素である文明の発展を促進することは出来なかった。
文明の発展をより効率的に図ろうとする工夫の中で、国家や会社という組織が生まれ、持てる者と持たざる者の階級による利益社会へと変化していった。
ただ、その二つの組織の構成員はともに同じ人であり人間であることを忘れてはならないのです。
皮肉な結果ですが、人は豊かさを求めるための手段として作った「組織」によって、逆に束縛され続けてきたのです。
「豊かさ」を求めているつもりが結果として、手段である組織の安全と利益確保のために「主役である」人が束縛されていたわけです。
この矛盾が二元論的社会を作りあげてきた一番の問題だったのです。
これからの新しい社会とは、組織に束縛されない人が自らの心の豊かさを享受できる社会に他なりません。
人が個人として自立し、決して他者との関係に左右されない独立した存在として生きることのできる社会です。
組織という壁の無い社会は、本当の自由と公正を求めることが出来る社会になるでしょう。
しかし、新しい社会における自由と公正な他者との関係を創るのは誰でもない自分自身なのだという覚悟と自信が必要条件となります。
更に、自分と他者に対する愛情を無条件で持てること、つまり人としての徳を備えていることが新しい社会を生きる人としての十分条件となるでしょう。
まさに、そのような個人が共に生きる社会が「共生社会」ではないでしょうか。