第五十一章 これからやってくる社会(5)

価値の本質

お金のない社会をイメージしてください。
よく考えてみれば、生きていく上でお金がなくても何の支障もないことが分るはずです。
お金は単なる紙切れであり、お金があったとしてもそれを食べることも出来なければ、それだけで寒さを凌ぐことも出来ません。
お金が無くなったとしても、米はある、野菜はある、パンもある、雨がふれば傘でしのぐことも出来る、その気になれば今より広い家にも住むことが出来るかもしれません。
逆に、お金というものが巾を利かしている為に、理不尽なことのほうが多い世の中になっている。
多くのことを学びたいと思っても、お金を持っていなければ学校に通うことが出来ない、どんなに横柄な態度で偉そうに言われても自社商品を買って頂いたお客様であればお礼を言わなければならない、一生懸命働いても何もしていないオーナーに儲けをピン撥ねされもっと稼げと奴隷のように扱われる。
同じ事をしたとしても、お金を持っている人間と、持っていない人間とは扱い方が違ってくる、お金を持っている人間が豪華な生活をしていたら「さすがだ、ふさわしい」と持てはやし、その人間の本質も知らないのに憧れを抱く、お金を持っていない人間がちょっと贅沢をすると「身の程知らず」と冷笑する。
たまたま豊かな国に生まれただけの若者が海外旅行に出かけ、他国で自分達の非常識を恥ずかしげもなく撒き散らし、たまたま貧しい国に生まれたばかりにどんなに努力をしても、生きていくのが精一杯の暮らしで一生を終えていく。
拝金主義社会が如何に物事の本質を曇らせているか、真剣に考えるときが既にやってきています。
お金は人間を鈍感な生き物にしています。
お金に支配され、お金に恐怖感を抱いているのが現代拝金主義社会に塗れた人間なのです。
新しい社会の日の出に際し、先ずモノの本当の価値を判断できる能力を持つことが必要です。
全てのものの価値をお金でしか判断できない人間は、新しい社会では生きていくことが出来ず、モノの価値の本質を理解できる人間だけが新しい社会に招き入れられる。
既に、その選別作業がどこかで行われているのかもしれません。