第五十章 これからやってくる社会(4)

お金のない社会

現代人が崇め奉ってやまないお金。
物質文明の進化と共に、人間がもつ欲望の殆どがこのお金によって解決されていくようになり、富の追求、拝金主義が現代社会に蔓延しています。
元来、お金=貨幣というものは、持ち運びに便利な物品との交換手段、延いては価値を計る尺度として用いられたものであり、古くは貝から始まり、銅、金銀へと移り変わっていきました。
交換手段であるがゆえに、それ自体が希少価値を持つものでした。
ところが、1971年のニクソンショック(金本位制度の実質撤廃)以降、現在の貨幣経済は価値を有する金銀貨幣(正貨)を使用せず不換貨幣が使用されています。
この不換価幣とは、それぞれの国の政府によって保証された「銀行券」であり、それ自体は何ら価値を持たないものです。
つまり国家に基づく信用だけで、我々は貨幣を使用しています。
しかしながらその信用とは、平和な世の中においてのみ存在するものであり、一旦戦争状態にでもなればたちまち消滅してしまう、非常に脆弱なものであるということに誰もが気付いていないのです。
況してや二十世紀後半から、貨幣は物の交換手段と価値の尺度という役割から、そのもの自体が商品となり、実体貨幣のみならぬ仮想貨幣(金融デリバティブ)が誕生し、既に実体貨幣を遥かに上回る量が人間同士の口約束のみで取引されています。
正に何の実体もないバブルを貪欲に追い求める現代人の富への欲望を考えると、富という概念が貨幣で以って表示されている限り、拝金社会から脱出することは不可能であり、貧富二元論世界の呪縛に苦しみ続けることになります。
富とは本来希少価値のあるものだったのです。
現代人が持つ富の概念は、貨幣という資本主義社会が織り成す実体のないものであり、貧富二元論的概念の究極ともいうべき拝金主義からの脱却はこの概念を超える三元論的考え方を生む社会、すなわちお金のない社会の構築にこそあるといえます。
人類の歴史を辿れば、貧富二元論的概念がないのが一元論的原始社会でした。
貧富二元論的概念が生まれたのがゲゼルシャフト(利益社会)であり、その極致に拝金主義がありました。
この貧富二元論的概念を超えた三元論的考え方が生む新しい社会の富の(ものさし)はやはり、量の(ものさし)から質の(ものさし)によるものでなければならないはずです。
これまで、あらゆる価値の尺度はお金の量という(ものさし)で計られてきました。
新しい社会の価値の尺度は、人間の心の質−古来、徳力が心の質を計る尺度になっていました−によって計られるようになるはずです。
いわば、本物の時代がやってくるのです。