第二十六章 資本主義・社会主義の相克と盛衰(6)

冷戦構造の崩壊、新しい座標軸の模索(2)

冷戦下では、米ソの直接対決が行われない代わりに代理戦争が局地的に行われました。
朝鮮戦争とベトナム戦争がその代表例であり、その他内戦や紛争を含めると、ここでは列挙する暇がない程です。
こうした争いの中、米ソ両陣営から最新兵器・軍隊が各地に分配・投入され、深刻な悲劇を齎しましたが、未だにそうした負の遺産が内戦やテロに使用され続けています。
そうした長い冷戦構造の中、米ソ各々も次第に金属疲労を起こすようになってきます。
アメリカは経済の面で経常収支・貿易収支各々の赤字に次第に苦しむようになり、ついには1971年にドルの金交換停止を宣言せざるを得なくなりました。
これはドルが信用貨幣としての価値を失ったことであり、ドルの信用力に基づきアメリカが世界経済をコントロール出来なくなったことを示しています。
またベトナム戦争はアメリカの威信を大きく傷つけました。
ソビエトは計画経済下の非効率・非採算の弊害に苦しみます。
戦時下ではその経済運営は非常に有効に機能しましたが、平時では個人の勤労に対するモチベーションを高める術をどうしても持ち得なかったのです。
対外的には、中国との対立、ハンガリー・チェコへの弾圧、そしてアフガニスタンへの侵攻と次第にダッチロールしていきます。
終わりは突然訪れました。
ソビエトのゴルバチョフがはじめたペレストロイカ(新規立て直し)、そしてグラスノスチ(情報公開)は、あくまで自らの内的要請に応じてのものであり、市場経済政策を部分的に導入して、従来の経済の非効率を解消するのがその目的でしたが、それが他の社会主義国にもたらした効果は絶大なものでした。
1989年に東欧諸国において社会主義政権が相次いで倒れ、1991年にはソビエトそのものが解体されました。
その間の動きはあまりにもドラスティックで性急であり、我々を含めた西側諸国の傍観者は、社会主義諸国の内実が想像以上にひどいものであったことを改めて知らされた訳です
一方で、もう一つの社会主義国の雄である中国やベトナムは、市場経済を積極的に取り入れることで著しい経済成長を遂げています。
資本主義経済が社会主義経済に勝利した訳ではなく、あくまでも敵失によるものであることは誰もが承知しています。
社会主義は啓蒙主義である、とは繰り返し申し上げてきましたが、このボーダレスの時代、情報の共有化が進んでいる状況では、もはや啓蒙の時代ではなく、時代に応じた座標軸を作るべき時だと結論付けるべきでしょう。