第二十三章 資本主義・社会主義の相克と盛衰(3)

二つの世界大戦(1)

20世紀の列強の帝国主義支配は、ロシアの不凍港を求める動きの阻止と、ドイツの拡大政策への対抗措置が二大テーマとなります。
様々な問題を孕みながらも、西欧列強諸国間のパワーバランスは微妙に保たれていましたが、最初の破綻が日露戦争であり、この前哨戦を経た後、バルカン半島問題を契機として起こったのが第一次世界大戦です。
この戦争は、交戦国の海外植民地を含めると文字通り世界戦争であり、総力戦でした。
全体で一千万人という戦死者の数が示すように、敗者は勿論、勝者にも大きな犠牲を強いた戦争です。
総力戦という意味合いから、特にイギリス・フランスは海外植民地からの徴兵を推進しました。
そしてその見返りとして戦後の自治権の付与を口約束しつつ、戦後それを反故にするという二枚舌外交を行ったことが、被支配地域の独立運動をさらに促すことになりました。
特にイギリスが行ったアラブ人とユダヤ人のそれぞれに独立国家建設を認めて、戦争協力を行わせた「フサイン・マクマホン書簡」「バルフォア宣言」はその最も醜悪な例であり、その後現在に至るパレスチナ問題の原因として、その悪影響は計り知れないものがあります。
このように帝国主義支配は徐々に破綻をきたしながらも、その後も何とか継続し、各植民地の独立は第二次世界大戦の終結を待たねばなりませんでした。
ロシアでは、日露戦争後、国民の訴えに皇帝側が譲歩して議会が開設されましたが、議会の趨勢は旧体制への攻撃をさらに強めるものであったので、政府との対立状況が続きます。
その一方で、労働運動・民族運動は激しく弾圧され続けました。
第一次大戦には連合国側に立って参戦したロシアでしたが、ドイツに連敗し、国民の厭戦気分、政府への不満が高まりました。
そして1917年、まず帝政が崩壊し、議会を中心とする臨時政府と勤労者・兵士の代表であるソビエトが並存する二重権力状態となったのが2月革命、その後、レーニンの指揮するボリシェビキが武力で臨時政府を倒したのが10月革命です。
ここに世界初の社会主義国家が成立しました。
またレーニンは、1919年に第三インターナショナルを創設して社会主義による世界革命を目指しました。
これは先の第二インターナショナルが、第一次大戦の開始に際して自国植民地の自決を認めず、結果帝国主義戦争を支持することになった事態への反省が込められており、ここで改めて民族自決の方針を再確認することによって、植民地政策の抑圧下にある国々の抵抗運動を社会主義の側に引き付けることに成功しました。
第二インターナショナルの失敗は、社会主義の持つ覇権主義的側面を象徴する出来事であった筈なのですが、その点は看過され、社会主義と資本主義の対決の構図は対帝国主義の戦いに置き換えられ、その後この状態が長く続くことになります。