第二十一章 資本主義・社会主義の相克と盛衰(1)

帝国主義と民族解放運動、そして社会主義(1)

啓蒙主義運動の結果として生まれた社会主義思想は、その発祥の地であるフランス・ドイツはもとより、他のヨーロッパ諸国においても急速な広がりを見せます。
その担い手は、産業革命による生産手段の工業化によって生まれた労働者階級です。
フランスでは1848年の2月革命を経て、労働者の権利を向上させるための運動が高まりを増し、結果、失敗はしたものの、人類史上初の労働者による臨時政府の樹立という「パリ・コミューン」を短期間にせよ実現させました。
ドイツでは、マルクス・エンゲルス思想の影響下、世界で最初の労働者政党である「社会主義労働者党」が発足し、時の宰相であるビスマルクと激しい権利闘争を行います。
ビスマルクによる社会主義者への弾圧と、その一方で、社会保険制度の施行など、労働者に対して行った保護政策は「飴と鞭」の政策と例えられています。
その後、ドイツに遅れはしたものの、各国で発足した社会主義政党は国境を越えて連帯するようになり、1889年には国際組織「第二インターナショナル」が発足します。
また、ロシアは西欧諸国に比べ、19世紀になってやっと農奴制が開放されたことからも分かるように、国民の啓蒙化が格段に遅れていました。
そうしたギャップを埋める目的の下、社会主義運動はテロ行為に走る等、過激さを帯びながらも急速かつ着実に広がり、ロシア革命へと至る下地を作りました。
こうした社会主義の広まりの一方で、資本主義は帝国主義と連繋しながら膨張していきます。
19世紀後半に第二次産業革命を迎えたイギリスは、インドの直轄統治に代表されるように、アジア・アフリカ諸国の植民地化を推進しました。
その圧倒的な生産力と、それを受け入れる市場を手に入れたことで、イギリスは正に最盛期を迎えます。
またフランス・ドイツをはじめとする他のヨーロッパ諸国も同様に、その植民地獲得政策を積極的に推進しました。
その結果、20世紀を迎える1900年頃には、ほぼアジア・アフリカ地域の、いわゆる欧州列強による分轄支配が完成することとなります。