第十八章 資本主義・社会主義の創生と発展(2)

絶対主義と啓蒙主義

コロンブスに代表される一連の新大陸の発見は「大航海時代」と総称されますが、ここにもルネッサンスの影響が見て取れます。
中世ヨーロッパの封建社会に内包され、蓄えられてきたエネルギーが、一斉に外の世界へ向かって解放された活動と捉えるべきでしょう。
そのエネルギーの発露は、イスラム教徒の駆逐に成功した勢いをそのまま活用したスペイン・ポルトガルにて最初に盛んとなりました。
それに遅れて、宗教戦争の被害が、地理的情勢から比較的軽微であったイギリス・オランダが新しい主人公となります。
新大陸の発見とは、言い換えれば海外植民地の獲得競争に他ならない訳ですが、スペイン・ポルトガルは16世紀半ばには、北南米からアジアに至る広大な植民地を寡占する最盛期を迎えますが、その宗教的情熱が薄れると同時に、国力も急速に衰退します
それにとって代わったのがイギリス・オランダで、特にイギリスは、植民地獲得における諸国との戦争に悉く勝利を収め、19世紀に至って「パックスブリタニカ」の時代を迎えます。
ヨーロッパ諸国がこれだけ植民地経営に血道をあげた理由は、やはりそこから得られる莫大な利益にあります。
最初は植民地からの収奪、後には自国製品の独占市場の確保、という意味合いの極めて経済的理由の下、後発のフランスも含めた各国は、そこに国力の投入を惜しみませんでした。
絶対主義とはこの過程で生まれた制度です。
植民地経営から利益を得るためには、同様にその利益を求めるライバル国に打ち勝たねばなりません。
その鍵を握るのは軍事力です。
強力な軍隊を保持するためには、強大な権力を集中させることが必要です。
こうした外的要因の下、言わば必要に応じて絶対王政が現れました。
このように絶対王政すなわち絶対主義は必要に応じて、言わば妥協の産物として生まれたものであり、例えば同時代のトルコのスルタンのように、完全な独裁専制者とはなり得ませんでした。
これを証明するように、イギリスでは絶対王政を推し進めようとしたスチュアート朝の王が議会に処刑され、フランスではさらに大規模な革命という形で絶対王政を打倒します。
この落差は、それぞれの国民意識の違いに起因します。
トルコではスルタンと民衆の関係が、未だ主人と奴隷というものでしかなかったのに対し、ヨーロッパではルネッサンスの洗礼を受けて、広い国民層が合理的精神を持つに至っていました。
経済的成長に必要な部分までは絶対王政を認めるが、それ以上の理不尽な部分は拒否されて然るべき、という共通の理解が出来上がっていた。
ここでルネッサンスの話に戻りますが、その一番の貢献は実証的精神、つまり科学による証明を最重要とする思想をヨーロッパ社会に齎したところにある。
有名なコペルニクスやガリレオの事例に見られるように、合理性に基づいて、既存の価値を検証する手法を定着させたことが、ヨーロッパ社会が他の世界をリード(支配)する土壌となったのです。
この実証的精神・合理的精神を、さらに広く流布させようとする動きが啓蒙主義です。
絶対主義は、啓蒙主義によって開化した国民に支持され発生したものの、さらに啓蒙主義の度合いを含めた同じ国民によって捨て去られた制度と言えます。