第十六章 前世紀までのイデオロギー(6)

二元論世界を超えた平和な社会

我々人間の社会は、文明や科学の発展により量的な豊かさが実現されてきましたが、一方で争いの絶えない社会でもありました。
産業革命に端を発した帝国主義による植民地支配、異宗教間対立、ブルジョワジーの代表・資本主義とプロレタリアートの代表・社会主義の内部抗争がきっかけになったイデオロギー(考え方)の対立。
近代社会になってから発生したこういった対立が、20世紀の大戦争へと駆り立てて行きました。
その結果様々な悲劇を生んだのですが、その裏側では巨額の利益や地位・名声を得た人間たちもいました。
自然界における動物は、生きてゆく為に時として殺し合いを行うこともありますが、人間のように対立から殺し合うことはありません。
ではなぜ人間は対立してしまうのでしょう。
これまでの人間の争いを振り返ってみると、拝金主義が高じた結果、お金が何よりも大事と考えるようになり、自らの財産を死守し、他人を殺してまで彼らの財産を奪い、更に新たな財産を求めて争いを繰り返す、果てしない欲望がその原因であったのではないでしょうか。
戦いに勝った人間は、自由や平等を標榜しながらも、裏側では飽くなき利益の追求を図り、何かを恐れるように、何かから逃れるように、強者から弱者へ一切分け与えることのない貪欲な支配者へとなってゆく。
対立する者同士が、お互い異なった価値観や考え方を受け入れられなくなる。
自らの考え方が正しくて、相手が間違っている。
自分が善で、相手が悪と判断してしまう。
そして敵・味方と区分けして争いを始める。
つまり二元論世界の特徴である二者相克がその原因であるのです。
考える能力を与えられた人間であった事が悲劇だったのでしょうか。
自然界に生まれてきた我々人間だけが、大切な何かを置き去りにしているように思えて仕方ありません。
ひとり一人の人間が、お互いの意見や考え方に耳を傾け、尊重し合い、二元論世界を超えた新しい社会システムを構築するための要件が、我々人間に与えられた、考える能力の本当の意義ではないでしょうか。
自分の家族は大切に想い信頼できるが他人は別と区分けするのではなく、総ての人間を兄弟や家族と考え、お互いを大切に想い合う事ができ、相互信頼が生まれた処に、質的な豊かさの伴った平等な社会を築き上げることができるのではないでしょうか。
そんな社会を目指すことが、21世紀のイデオロギーの根幹をなすべきではないかと考察する次第です。