第十四章 前世紀までのイデオロギー(4)

ロシア革命と社会主義国家・ソビエト連邦の誕生

啓蒙主義の導入の結果、フランスやドイツ、そして日本は、イギリスの地位を
脅かすには至りませんでしたが、海外植民地獲得に幾ばくかの成功を収め、獲得したもの同士による一種のカルテルのような状態が20世紀初頭まで存在していた。
しかしその2番手にさえ遅れをとったロシアでは、17世紀初頭にピョートル大帝が現れ、国家体制の近代化を図り、その後は絶対王政が延々と続き、政治権力の分散が行われず、資本主義社会の担い手が育成されないままで20世紀に至った。
ロシアは、内包する自己矛盾に気づかないまま、他の近代国家に倣い、植民地獲得を狙って度々戦争を起こした結果、ロシア国民の不満は高まり、国家体制は破綻する運命に至った。
それが社会主義革命という形で爆発したのがロシア革命です。
矛盾が大きければ大きいほど、その揺り戻しも激しいものです。
先のフランス革命と同様、諸外国の反発・アレルギーも激しく、第二次世界大戦後は、冷戦という形で、資本主義陣営と社会主義陣営間の相克・敵対関係が20世紀の終わりまで続くことになるわけです。
ここで社会主義の起源に話を戻してみましょう。
空想段階も含めれば社会主義の歴史は、16世紀の「ユートピア」の著者トーマス・モアーにまで遡りますが、それを実際に理論・体系化したのは、19世紀のマルクスとエンゲルスです。
彼らは資本主義社会というものは必然的に崩壊し、その後に社会主義(共産主義)社会が訪れると結論付けました。
先述したとおり、ドイツは資本主義競争で他国に遅れをとったため、啓蒙主義を採用して国力の増強に努めた国です。
マルクスが「資本論」などを執筆していた19世紀は、ちょうどその富国強兵策が最も盛んな時期であり、当然彼の研究に大きな影響を与えました。
マルクスの思想は、イギリスにおける資本主義社会の抱える矛盾の指摘ですが、他方、資本主義社会で勝利するための科学的方法論として、社会主義思想を編みだしたのです。
資本主義の進化形態としての社会主義ではなかったのです。
社会主義国家としてロシアの歩んだ道を辿れば、そう思わざるを得ない節がある。
ロシアは革命後、共産主義国家を標榜し、国民の間に何ら階級的差別は存在しないと広言して来ましたが、実態は逆であったことを今や世界中の誰もが知っています。
スターリンは、「ソビエトは社会主義の生成段階にある」などの言い訳を使っていましたが、実態はロシアのツァーリズム−ロシア皇帝による専制主義−と変わらない独裁体制であり、彼の死後は集団による独裁体制−ノーメンクラツーラという官僚特権階級−に引き継がれていったように明らかな階級社会であったわけです。
この国家体制を採ったからこそ、第二次世界大戦を挟んでおよそ70年間、社会主義陣営の盟主として、資本主義国家と伍して戦い続けることが出来たのです。
しかし、共産主義の実現(ユートピア)などは到底果たせず、絵に描いた餅であったことは明白です。
マルクスは資本主義社会の崩壊後、社会主義が世界を支配し、その後完全な共産主義社会に到達すると主張しました。
しかしマルクスの社会主義思想は、資本主義への対立軸として機能し得たものの、共産主義社会へ至る道程を何ら示すことが出来ず、亜流資本主義思想としての啓蒙主義思想の最も先鋭化した形態だったのです。
ドイツの抱える事情が、啓蒙主義をさらに徹底的に推し進める必要を生じさせ、その要請として社会主義が生まれたと同じように。