第十三章 前世紀までのイデオロギー(3)

近代社会の産声

ヨーロッパにおける近代というものを再度振り返ってみますと、ルネッサンス(人間復興)により、キリスト教世界観の呪縛から開放された人々は、新天地に自らの王国を建てるべく、アジア・アフリカ、そしてアメリカ大陸への進出を始めた、いわゆる大航海時代の始まりです。
その先陣を切ったのは、スペイン・ポルトガルです。
彼らが貿易から得る収入、さらにヨーロッパ以外で獲得した植民地から齎される富は、他の国家を刺激し、競って国内の抗争を終息させて国力(財力・軍事力)を増大し、植民地獲得へと駆り立てるようになりました。
その結果、権力が国王に集中し、絶対王政国家が誕生することになります。
そうした体制の維持には莫大な費用がかかり、各絶対王政国家は、さらに植民地経営を推し進め、国富の増大に努めることを強いられました。
都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)が台頭するのはこの時期です。
国家は彼らを保護・育成することで、その産業自体を発展させ競争力を高め、彼らの商工業活動の結果得られる富を手に入れようとしました。
これを重商主義と呼びます。
その功罪はともかくとして、こうした社会・経済活動の大きな流れの必然として産業革命は始まったのです。
産業革命は18世紀にイギリスで起こったわけですが、当時イギリスは他のヨーロッパの国家と比較して、恵まれた条件下にありました。
ヨーロッパの近代を彩る大きな出来事として宗教改革があります。
旧教(カソリック)と新教(プロテスタント)各々を信ずるもの同士の争いは、血で血を洗う凄惨なものであり、各国に大きな被害を齎しました。
フランスではユグノー戦争と呼ばれる新旧両教徒の激しい争いがあり、安定した政治体制が整うのは17世紀中頃のルイ14世の登場を待たなくてはなりませんでした。
特に酷い目にあったのがドイツであり、国内の宗教対立を口実に、諸外国が介入することで始まった17世紀前半の三十年戦争は、戦場となったドイツ、及びその国民に莫大な被害を与え、ドイツの近代化を200年遅らせることになりました。
事実、国家としてのドイツ統一は、19世紀後半まで待たねばなりません。
一方イギリスは、国王の離婚問題などでカソリックと仲違いしていた結果、地理的条件もあって、新旧キリスト教の争いには第三者的な立場をとることが出来たので、大陸の諸国が内戦を繰り広げている間、国力の増強に努めることが出来ました。
また王権の縮小や議会政治の導入なども、比較的早期に実現されたので、都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)が大きく成長する素地もあり、こうした内的エネルギーの蓄積があって初めて、産業革命はイギリスで可能となったのです。
産業革命とは、一口で言えば生産能力の飛躍的な増加であり、大量生産によりコストを大幅に削減することが可能となりました。
一方で大量生産によって生み出された商品を販売する市場を必要とします。
イギリス人とはアングロサクソン人種であり、非常に冒険心に富んでいる一方、征服欲も非常に強いという側面があります。
植民地獲得という事業は、こうした彼らの性格に非常に適合したものであり、事実、世界各地で植民地獲得を果たします。
後発の国々との地域紛争にもほとんど勝利し、19世紀末には世界の半分を支配下に置くまでになったのです。
イギリスのこうした成功は、当然他の国を刺激しました。
フランスはルイ14世の統治下、植民地獲得に注力し、イギリスに海外で何度も戦いを挑みましたが、悉く敗れました。
こうした戦争にかかる経費の国民への負担、一方で重商主義政策の失敗に対する都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)の不満などがエネルギーとして蓄積された結果、フランス革命に至ったのです。
フランス革命はあまりにも極端な社会の変化を齎したため、もう少し緩やかな改革を求める層が出てきました。
一方で都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)は、植民地獲得を果たすことが出来る強い権力を求めていたので、両者の思惑が合致したところにナポレオンの登場があったのです。
しかし、彼は軍事的天才であっても、政治的天才ではありませんでした。
大陸封鎖令などで、自らの支持層である都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)を疲弊させることとなり、彼らの支持を失って、没落への路を辿りました。
後発のフランス・ドイツは、先行したイギリスに追いつくために何をしなければならないか必死に考えた結果、イギリスのように自発的な都市の富裕な商工者層(ブルジョワジー)の進化による資本家の登場を待つわけにはいかない、寧ろ現有の能力を有効に活用することで、最も迅速な手段を取らざるを得ないとの結論に至ったのです。
これを啓蒙主義と総称します。
王家が、優秀な人材を抜擢して、彼らに集中的に専門教育を施すことで、次代の指導者として育成し、国家の運営を委ねるという考え方です。
イギリスに遅れをとった国々としては、こうした方法が唯一の対抗手段でした。
産業革命によって先手を取ることが出来たイギリス、アメリカは自由競争原理に基づく資本主義社会に突入したわけですが、これらイギリス、アメリカに対抗していくために、他の国も競ってドイツ、フランスの手法を採り入れました。
明治維新後の富国強兵策に、この最も先鋭化させた手法としての啓蒙主義を採った日本もその一つです。
イギリスで始まった産業革命によって齎された社会形態が資本主義社会です。その是非は横に置いて、世界を席巻した資本主義とどう関わっていくか、平たく言えば、そのルールの中で如何にして勝利することが出来るかが、近代国家に脱皮していく各国の大きな命題となったのです。