第十八章 健康・病気問題は絵に描いた餅

健康な人の気持ちは病人にはわからないし、病人の気持ちは健康な人にはわからない。
では、わたしたちが健康を求め、病気を忌み嫌うのは何故でしょうか。
“死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっているし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっている。”
わたしたちはこの考え方を支持しているから、死を忌み嫌っているだけで、実はそうではないことを前章で述べました。
そうであるなら、“病気になった人は健康と病気の両方を経験しているから、病気になった人の気持ちも健康な人の気持ちも両方わかっているし、健康・病気問題という一枚のコインの本質もわかっている”という考え方が、病気を忌み嫌う原因であり、実はそうではないことになります。
結局の処、
健康な人の気持ちは病気になった人にはわからないし、病気になった人の気持ちは健康な人にはわからない。
そうしますと、健康・病気問題という一枚のコインの本質が見事に観えてきます。
生まれた時から死ぬまで、健康な人は健康であり続け、病気になった人は病気であり続けた場合に限って、健康な人の気持ちは病気になった人にはわからないし、病気になった人の気持ちは健康な人にはわからないのです。
健康・病気問題という一枚のコインの本質は、健康な人は生まれた時から死ぬまで健康であり、病気になった人も生まれた時から死ぬまで病気であるという点にあるのです。
では、健康な人は生まれた時から死ぬまで無条件に健康でいられるでしょうか。
自然と一体感で生きている他の生き物には病気はありません、つまり、生まれてから死ぬまで健康であり続ける。
自然と一体感で生きていない人間(若しくは人間社会に織り込まれているペット化した生き物も含む)だけに病気があります、つまり、生まれてから死ぬまで病気であり続ける。
結局の処、健康とは自然との一体感であることに他ならず、病気とは自然との一体感を失う、つまり、部分観であることに他なりません。
自然とは地球のことであります。
真の親である地球との一体感とは、真の親である地球の想いである重力を感じることです。
真の親である地球との一体感を失って、真の親である地球の想いである重力を感じることが出来なくなった人間だけが、生まれてから死ぬまで病気であり続け、挙句の果てに、病気に因って死に至るのです。
科学偏重の現代社会に生きているわたしたちは、医療によって健康になれると信じています。
この考え方は実は幻想に過ぎないのです。
健康・病気問題という一枚のコインの本質は、真の親である地球の重力を感じることで地球との一体感を持つ他の生き物は生まれた時から死ぬまで健康であり、真の親である地球の重力を感じることが出来ない部分観を持つ人間だけが生まれた時から死ぬまで病気であるという点にあるのです。
健康な他の生き物の気持ちは病気になった人間にはわからないし、病気になった人間の気持ちは健康な他の生き物にはわからない。
だから、他の生き物は死を知らないのに、人間だけが死を知り、死を怖れて生きているのです。
生まれてから死ぬまで健康なら、死の概念はない。
生まれてから死ぬまで病気だから、死の概念を持つ。
死の概念を持つわたしたち人間だけが、生まれてから死ぬまで病気であり続けるのです。
結局の処、健康・病気問題という一枚のコインは、生・死問題という一枚のコインが変形しただけに過ぎません。
死の問題を解決しない限り、健康・病気問題など絵に描いた餅に過ぎません。