第十六章 生きている者・死んだ者

わたしたち生きている者は、死んだ者の気持ちはわかりません。
死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっているし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっているが、残念ながら、死んだ者は生きているわたしたちに教えてくれない。
ところが、死んだ者の誰かが、わたしたち生きている者の誰かにだけ教えてくれることがあるらしいし、逆に、わたしたち生きている者の誰かが生きながらにして、死んだ者の世界を訪問することができる結果、死んだ者の世界も知ることができるらしい。
こうして宗教が誕生し、輪廻転生の考え方がまことしやかに人間の中に蔓延した結果、誰もが死んだ者を弔う儀式を当然のごとく続けている有様です。
他の生き物の世界にそんな儀式は一切ない。
どんな生き物でも自分が死ぬ時は、独りでひっそりと死んでゆく。
それは彼らが、『今、ここ』を生きているからであり、『今、ここ』を生きている者は誰でも知っているのです。
生きている者の気持ちは死んだ者にはわからないし、死んだ者の気持ちは生きている者にはわからない。
金持ちの気持ちは貧乏人にはわからないし、貧乏人の気持ちは金持ちにはわからない。
健康な人の気持ちは病人にはわからないし、病人の気持ちは健康な人にはわからない。
幸福な人の気持ちは不幸な人にはわからないし、不幸な人の気持ちは幸福な人にはわからない。
善人の気持ちは悪人にはわからないし、悪人の気持ちは善人にはわからない。
賢い人の気持ちは愚かな人にはわからないし、愚かな人の気持ちは賢い人にはわからない。
支配者の気持ちは被支配者にはわからないし、被支配者の気持ちは支配者にはわからない。
強い者の気持ちは弱い者にはわからないし、弱い者の気持ちは強い者にはわからない。
男の気持ちは女にはわからないし、女の気持ちは男にはわからない。