第十五章 大いなる福音

生きている者の気持ちは死んだ者にはわからないし、死んだ者の気持ちは生きている者にはわからない。
わたしたち生きている者は、死んだ者の気持ちはわかりません。
知性レベルでは、死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっている筈です。
従って、
知性レベルでは、生・死問題という一枚のコインの本質がわかっている筈です。
ところが実はそうではありません。
知性とは生きている者だけにあるもので、死んだ者にはない。
何故なら、知性の正体は大脳新皮質の働きによるもので、死んだ者の脳は働いて(動いて)いないのですから、知性を発揮しようがない。
記憶も、大脳や肉体全体の各器官に蓄積されているものですから、肉体が働かなければ(動かなければ)、記憶装置も働き(動き)ようがない。
知性レベルでは、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっている筈だし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっている筈ですが、肝腎の知性が働いて(動いて)いないのですから、結局の処、何もわかっていないのです。
従って、
生きている者の気持ちは死んだ者にはわからないし、死んだ者の気持ちは生きている者にはわからない。
しかし、この知性レベルを超えた真理が大いなる福音なのです。
死ねば生きていることから解放されるという福音に他ならない。
死んでも、生きている時のことから解放されないとする輪廻転生の考え方では、生きるも地獄、死ぬも地獄になる。
生・死問題という一枚のコインの本質がここにあります。
眠りの中で現実(生きていること)だと思って観ていた夢が、目を醒ますことで夢(死んだこと)だと気づくことが、大いなる福音の一瞥なのです。
従って、
金持ちの気持ちは貧乏人にはわからないし、貧乏人の気持ちは金持ちにはわからない。
健康な人の気持ちは病人にはわからないし、病人の気持ちは健康な人にはわからない。
幸福な人の気持ちは不幸な人にはわからないし、不幸な人の気持ちは幸福な人にはわからない。
善人の気持ちは悪人にはわからないし、悪人の気持ちは善人にはわからない。
賢い人の気持ちは愚かな人にはわからないし、愚かな人の気持ちは賢い人にはわからない。
支配者の気持ちは被支配者にはわからないし、被支配者の気持ちは支配者にはわからない。
強い者の気持ちは弱い者にはわからないし、弱い者の気持ちは強い者にはわからない。
男の気持ちは女にはわからないし、女の気持ちは男にはわからない。
という知性レベルを超えた真理も、大いなる福音なのです。