第六章  最終イベント

最後の冬休みも終わり、いよいよ六年間の小学生生活最後の学期が始まった。
「あと二ヶ月半しか残っていないよう、健吾!」
太一は迫り来る洗足小学校の卒業の日を指で数えては、健吾に愚痴った。
「僕だって、寂しいんだ。お前だけじゃないよ」
健吾に厳しい言葉を吐かれて、黙ってしまった太一の表情に何か暗い影があるように健吾は感じた。
「太一はなんで、最近あんなに弱音を吐くんだろう?」
新しく行く中学校では、谷山太一という天才が入学して来るという噂がすでに広がっていた。
健吾は自分のクラスの担任の工藤先生に聞いてみた。
「ハニワ先生。最近、太一の様子、おかしくないですか?」
今では、誰もが工藤先生に直接向かって、「ハニワ先生」と呼ぶようになっていた。
「そうだな、確かにそうだが、何か目的を見失っているみたいに思う。対抗試合の時のような覇気が無くなっている」
健吾は、それでヒントが湧いた。
「先生。最後にもう一度、川田塾と対抗試合をやってみませんか?」
前回の対抗試合で途中棄権したにも拘らず、負けを認めず、試験の正当性がないと主張し、金の力でマスコミを動かし、週刊誌で川田塾の良さを宣伝させ、洗足小学校のスキャンダルになるネタを探らせていた。
特に萩原校長の大学助教授時代のことを掘り返したり、PTA会長の上村筆一との癒着関係があるとか、デマを飛ばしていた。
マスコミも、萩原校長が徳売新聞の取材しか受けいれないのに反発して、必死にネタ探しをしていた。
世間というものは、マスコミの言うことを全面的に信じているわけではないのだが、繰り返し報道されると、知らぬ間に思い込んでしまう一種の催眠効果があることに気づいていない。
それで徳売新聞で、洗足小学校が決着をつけるために川田塾との対抗試合を申し入れした。
待ってましたとばかりに、川田塾は受けて立った。
「何か、引っかかるね。工藤君」
萩原校長は言った。
その時、川田塾の川田塾長から電話が掛かってきた。
「わかりました。それで結構です」
受話器を下ろした萩原校長が溜息をついて言った。
「一騎打ちでやりたいと言うんだ」
「決闘じゃあるまいし、一騎打ちってどういう意味ですか?」
どうやら、すごい切り札を川田塾が持っているらしい。
それで、こちらからも一人代表を出してくれと言って来たのだ。
仕方なく、こちらから申し入れした以上、相手の条件を飲むしかなかった萩原校長は受けたのだ。
徳売新聞に、その趣旨を伝えると、川田塾のすごい切り札を調べてくれた。
「校長!分かりましたよ。切り札が!」
校長は口を震わせながら、記者に聞いた。
「本当に、すごいのかい?」
記者はメモをめくりながら、驚いた表情をした。
「ここにいた少年ですよ。西本二朗という子供です」
「何だって!」
岩田浩を騙し討ちしてチェーンで大怪我をさせ、家族共々行方をくらませた、あの西本二朗だった。
「これはとんでもないことになりそうだ」と思った萩原校長は工藤先生を呼んで事情を説明した。
「谷山君を代表にしましょう」
萩原校長も頷いた。
太一は西本二朗のことをほとんど知らない。
二朗が洗足小学校にいた頃は佳代と一緒に京都にいて、東京に帰って来たら、すぐに事件を起こして失踪したからだ。
健吾、恵津子をコケにし、そして岩田浩を半殺しの目に合わせた異常性格の少年の憎き奴だ。
「もちろん、僕が出ます。だけど健吾や浩、そして上村には内緒に出来ないですか?」
校長も、ハニワ先生も、太一の言っている意味が痛いほど分かっていた。
「なんて、気の優しい子なんだ」
二人は、太一の真剣な顔を見て思った。
「よし、分かった。黙ってやろう。徳売新聞には僕から言い含めておくよ。事情を説明したら、他の新聞社や雑誌社のように興味本位で記事を書く連中と違って、分かってくれるよ」
「じゃあ、谷山君。君の要望通り、秘密でやるから心配しないで、思い切り頑張ってくれよ」
校長に言われるまでもなく、太一は、「敵討ちだ」と思っていた。
敵側も商売だから、こんな話は表沙汰にならない方がいいに決まっている。
もしも負けたら商売に大打撃を受ける。
しかし勝ったらマスコミを使って宣伝するつもりだ。
卒業式の一週間前の三月二十日に決まり、それから太一は、一切愚痴を言わなくなった。
「おい健吾。太一やけに明るくなったと思わないか?」
浩が健吾に聞くと、健吾も同意した。
「まあ、だけど良くなったのだからいいじゃんか」
佳代と恵津子は、何かを予感していた。
二人で下校中、恵津子が佳代に言った。
「佳代ちゃん、何かわたし嫌な予感がするんだけど」
佳代も同じことを考えていた。
太一だけは、思い切り明るかった。
無理して明るくしていたわけではなく、敵討ちが出来る爽快感を楽しみにしていた。
試験内容は前回と同じだ。
ハニワ先生に言われて、太一は勉強などせずに、一生懸命体力つくりに励んだ。
三月十九日の日に、太一はみんなを家に遊びに来ないかと誘った。
明日のことを知らない健吾たちは、卒業を前に太一が一回そうしたかったのだと思って、太一の家に遊びに行った。
太一の家の者も明日ことを知らない。
晩御飯まで、みんなご馳走になった。
太一は帰りかけるみんなに、「それじゃ、また明日な」と言って微笑んだ。
三月二十日、午前九時から、川田塾で、前回同様、午前三科目、午後二科目の試験が始まった。
教室に入った太一は、西本二朗の顔を睨みつけた。
「なんで、こんなちっぽけな奴に浩がやられたのか」
内心憎しみの塊となっていた太一だったが、二朗は太一の印象もほとんど無く、話もしたこともないだけに平然としていた。
最初の科目は英語だった。
科目毎に結果を発表するやり方を川田塾は主張した。
太一は、「何でもいいや。好きなようにやれ!」
と思った。
英語の試験が終わった。両者立会いの下、採点が行われ結果が出た。
「西本二朗君 百八十二点、谷山太一君 百六十五点」
二朗は太一の顔を見てニヤッとした。
次の試験は基礎数学だった。
「谷山太一君 百九十点 西本二朗君 百七十五点」
午前最後の試験は社会だった。
「西本二朗君 百九十九点 谷山太一君 百六十九点」
午前の部が終わった時点で西本二朗が五百五十六点、太一は五百二十四点で三十二点、二朗がリードした。
午後は理科とIQだ。
理科の結果は、二朗が百五十五点、太一が百三十五点だ。
「これまでの結果を報告します。
 西本二朗君 七百十一点、谷山太一君 六百五十九点で 西本二朗君が五十二点のリードです」
IQテストを残して五十二点リードした二朗は太一の顔を見てまたニヤッとした。
太一は今まで無視していたが、今度はニタッと笑い返してやった。
それを見た二朗は一瞬顔がひきつった。
いよいよ最後のIQテストが始まった。
太一は余裕しゃくしゃくだった。
52点もリードしているのに二朗は冷や汗を掻いて必死になっている。
よほど、太一のニタッとした不敵な笑いに度肝を抜かれたようだ。
試験をすべて終えた二人の表情は対照的だった。
川田塾長は二朗が圧倒的リードしているので、勝利を確信していたが、二人の表情を見て不安になった。
「IQテストの結果を発表します。
 谷山太一君 二百二十三点 西本二朗君 百三十一点
 合計 谷山太一君 八百八十二点 西本二朗君 八百四十二点 
 従いまして、洗足小学校の勝ちです」
萩原校長と工藤先生が、太一のところへ行って、胴上げをした。
川田塾の帰り道、太一は敵討ちを果たしたものの、何か憂鬱そうだったのを工藤先生は気にしていた。
「太一、どうしたんだ?」
「ええ、ハニワ先生。敵討ちするまでは体中燃えているような感じだったのに、終わってみると、なにか拍子抜けしたみたいで」
洗足小学校に立ち寄ると言って工藤先生と太一は別れた。
工藤先生は、健吾たちに教えてやりたかったのだ。
太一は学校を休みにしていたので、そのまま家に帰った。
学校に着くと、ちょうど卒業式の練習が終わったところだった。
健吾や浩、そして佳代、恵津子を呼んで、今日の事情を説明した。
しかし、みんな期待したほど感激しないので、ハニワ先生はがっかりしていたその時、救急車のサイレンの音がした。
太一が家に帰る途中、車に撥ねられたのだ。
撥ねた車は、逃走したらしい。
救急車で運ばれた太一は、全身打撲で、頭を強く打っていた。
健吾たち仲間も学校の先生も病院に駆けつけたら、太一の母親と勇次が顔面蒼白で手術室の前のベンチに座っていた。
そこへ、太一の兄の浩と猛が真っ赤な顔をしてやって来るなり、
「やっぱり、計画的轢き逃げだ。暴走族の連中に当たっていたら、小学生の子供を車で撥ねて欲しいと百万円で依頼を受けた奴がいるらしい。そいつはもう、ずらかったらしい。なんで太一が計画的に、車に撥ねられなければならないんだ!」
それを聞いた、校長先生と工藤先生の顔が真っ青になった。
「それは・・・・・・」
健吾たちが、喜べなかったのは、嫌な予感がしていたからで、今日あったことを話した。
猛が怒り狂ったように、「ちくしょう!仇は取ってやる!」
と騒いだが、兄の浩がなだめた。
手術室のランプが消えた。
マスクをはずし、帽子を取りながら手術した医者が出て来た。
「だめでした。脳がぼろぼろになっていて、どうしようも出来ませんでした」
母親が床にうずくまって号泣した。
佳代が手術室の中に走っていった。
「太一君、死んじゃいや!」
担架で運ばれた太一が手術室から出て来た。
みんな、言葉も出ず呆然としていた。
兄の浩が言った。
「みなさん、このままそっとしておいてやりましょう。太一も敵討ちをしてやろうと思って、こんな結果になってしまった。ここでまた敵討ちをしたら、泥沼に入るだけです。太一はそんなこと望んでないはずです。お母ちゃん、そうだろう?猛も勇次もそうだろう?みなさん、後は僕たちがやりますから・・・」
浩は深々と頭を下げた。
三月二十二日、太一の葬式が執り行われた。
火葬場までついていった健吾たちは、太一が焼却炉に入れられると、さすがにみんな抑えきれずに泣き出した。