第二章  萩原留吉

健吾たち五人の仲間は、五年生では健吾と恵津子がA組で太一、佳代、浩がD組の二組に分れていたが、六年生ではみんながバラバラになってしまった。
健吾がA組、恵津子がD組、太一がB組、佳代がE組、そして浩がC組と見事に分れてしまった。
校長先生の意見で、せっかく二百五十名の生徒がいるのに、偏って、お互いを良く知らないままで卒業させては良くないということになった。
校長先生は、もう六十才を迎えようとしていて、いよいよ定年退職が迫っていた。
萩原留吉という名前で、二十年前まで名門大学の助教授をしていたのに、急に辞めて、洗足小学校の教頭としてやって来た。
大学では東洋哲学を教えていた。
日本の大学教育の在り方に疑問を持っていた彼は、悉く教授連中との間に相克が生じ、挙句の果てに、気が狂ってしまったとデマをとばされ、辞めざるを得ない状況に追いこまれた。
正義感が人一倍強かった彼は、頽廃した大学とことを構えようとしたが、家族を養っていく責任感の方を選択して、大学が用意した洗足小学校の教頭の職を受けたのだ。
不条理な大学に対する敗北感は、洗足小学校の教頭という立場の中でしばらく払拭することは出来なかった。
十年間、教頭で悶々とした日々が続いていたが、当時の校長が定年退職し、自動的に彼が校長に就任すると誰もが思っていたが、前の大学からの嫌がらせの圧力がかかり、外から新しい校長を招聘する話しが沸きあがってきた。
その時、教職員たちが一致団結して、萩原教頭を校長にする運動が起きた。
その先頭に立ったのが工藤先生だった。
そして校長になって十年、萩原留吉はアメリカから押しつけられた日本の教育制度を、自分たちの手で取り返すことに腐心してきたが、いろいろな障害にぶち当たりながらも、諦めずに頑張って来た。それがやっと日の目を見たのだ。
「工藤君。卒業式の日を、僕の卒業式にするよ」
工藤先生は、萩原校長の表情を見て、決意の程を知ったが、「校長が今ここで辞められたら、せっかく全国に拡がりつつある新しい教育のうねりに影響します。まだ辞めないでください」
と口を引き締めて言った。
「後は君がいるから大丈夫だ」
ハニワがその時、ぱっと目を開いた。
太一の六年B組の担任が工藤先生だった。
かつて、阿呆な父兄にそそのかされて、太一の乱暴に対して、退学処分にしようとした工藤先生だったが、太一が佳代の京都への転校を心配して、佳代と一緒に転校すると言いだした優しさに感動して以来、太一を実の子のように見守って来た。
太一も、そのことは分っていた。
去年の対抗試合の前日、工藤先生は、筆箱と新しい鉛筆を太一の為に買って太一に渡した。
「太一。明日の試験は体力も要るし、書く力も要る。お前の得意はスピードだ。だから鉛筆が折れる可能性があるから、十本の鉛筆をこの筆箱に入れておいた。この鉛筆は、このハニワが特別に注文した頑丈な芯が入っている。滅多なことで芯は折れない。持って行きなさい」
「ハニワ・・。いえ工藤先生・・・」
太一は感無量になった。
「ハニワと言っていいよ。ハニワというあだ名をつけたのは太一だろう?良く特徴を掴んでいるなと、実は感心していたんだ。お前は頭がいいんだ、とその時思ったよ」
そう言って工藤先生は腹を抱えて笑った。
担任の先生でもないのに、自分のことを気にかけてくれていたのだ。
太一は、早くして父親を亡くしていたから、父親の愛情を知らなかった。
兄たちが四人いたが、やはり父親の代わりにはなれなかった。
その時以来、太一と工藤先生との間に、特別な感情が芽生え出していた。
六年生で、成績も一番になった太一だったが、言葉遣いに以前のような乱暴さが無くなった以外、何も変わっていなかった。
返って、成績のことを言われるのが、恥ずかしいのか嫌がった。
それと健吾に対する配慮もある。
しかし、健吾との友情はいささかも揺らぐものではなかった。
「太一。垣内とは仲良くやっているか?」
工藤先生の一番気掛かりなことだったが、二人は相変わらず一緒に下校してはお互いの家に遊びに行く仲だった。
健吾も太一の変身ぶりにはびっくりしたが、それは嬉しい驚きだった。
太一は天才肌だが、健吾は秀才という決定的な違いがあることを、周りの者も、健吾もよく分っていたし、太一がいくら変身しても中味は全然変わっていないことを、健吾が一番よく理解していた。
六年生になった時に、二人は誓い合った。
「お互いにライバルとして正々堂々と競争しよう」
ますます二人の仲は親密になっていく姿を見て、ハニワはますますその目を細めるのだった。