第一章  サラリーマン社会・日本

対抗試合が世間の話題になり、洗足小学校は注目の的になった。
特に、驚異的なIQを誇る谷山太一は小学生のヒーローになったが、学校はいつもと変わらず、一切のマスコミをシャットアウトした。
そして徳売新聞に独占取材の許可をした。
他の大手新聞社は、徳売新聞の購読者数が爆発的に増えていくのに危機感を持ち始め、何とか手を打たねばと焦りだした。
そんな中、健吾たちが遂に六年生になる日がやって来た。
本来は五年生と六年生との間ではクラス変えはしないことになっていた。
しかし教育制度の抜本的改革を一年前に開始したので、再度最適なクラス変えをした方が良いという意見が出て、学校側も柔軟に対応する方針を打ちだした。
本来なら六年生は中学への登龍門の重要な時期であったが、塾に行く生徒も激減して、義務教育制度の中で決められた学区の中学への進学者が大半になった。
ただ改善して行かなければならない問題が多くあることは、洗足小学校の試行錯誤の制度改善から判明していた。
結局は、日本の教育制度を抜本的に見直さない限り、洗足小学校や南平台小学校だけが変わっても、根本的な問題解決にはならないのである。
昭和十六年に制定されて以来続いてきた六・三・三・四制度の見直しが、基本になるであろうことは容易に解る。では具体的にどうしたらいいのか?となると議論百出だが決定的な案がない。
ただ忘れてはならないのは、日本人の国民性である。
良いとなったら、全員盲目的に一方向に突っ走る。これでどれだけ失敗して来たか歴史の教材は山ほどある。
戦後を振り返ってみても、やはり東京オリンピックが大きなきっかけになって、日本は大きく方向転換して行った。
義務教育期間である小学校・中学校までは一部の私立中学に行かせる教育家庭を除いては、進学試験などなかった。
やはり経済的優位に立っていた一部の家庭、つまりお金持ちの家庭だ。自分たちは他の一般家庭とは違うんだという卑小なプライドを持った家庭の子供だけが、私立の中学校へ進学したが、ごく限られていたし、そういう私立の中学校の特徴は学力が優れている面を推しだしていたのではなかった。ただ義務教育制度の中学校とは違う、前述した卑小なエリート意識を満足させるためと、エスカレータ方式で大学若しくは高校まで無試験で進学出来るということであった。
その背景には、まだ当時の進学率の低さも原因していた。
日本の経済力が弱かったから、ほとんどの家庭が経済的理由で子供たちは義務教育だけで、中学校を卒業すると社会人になって働かなければならない状況の家庭が多かった。
高校や大学に進学するには経済的余裕が必要であって、まだ日本は先進国のレベルに達していない国だった。
戦前もそうだったが、よほどの秀才が輩出した場合は別として、旧性中学、高校、そして大学のシステムは、横並びの教育ではなく、縦型というか、専門校の色合いが強い制度であった。
商業高校、工業高校、商業大学、工業大学などが今でも、その名残である。
そこには、将来どのような職業に就くかによって進学する学校を選んでいた合理性があった。
ところが高度経済成長で日本国民の大半が中産階級化した結果、飛躍的に大学進学率が伸び、今は名門といわれる大学の卒業証書さえ貰えればどこでもいい、という風潮が蔓延してしまった。
それは、高度経済成長していった過程で、大半の大企業が日本株式会社の下、護送船団方式で大した企業努力をしなくても大きくなれた点を見逃してはならない。
そういった大企業に対する国の優遇が、本来の資本主義の基本にある自由競争意識を、忘れさせてしまったことが大きな原因だろう。
大した苦労なくして大きくなった企業が各産業界で、それこそ雨後の竹の子のように誕生していった高度経済成長下の日本では、大企業の社員になるのが、人生設計を立てる上で、最も有利な選択になった。
そうすると当然、その選択をする者が増えてくる。増えてくれば篩にかけるために試験をする。採用試験だ。そして大学卒業者は幹部候補に自動的になるから、みんな大学卒業を目指すようになった。
一旦走りだしたら、みんなが同調するのが日本人の国民性である。
この現象は大企業の会社員のみならず、政治家や医者、極めつけは宗教団体の教祖の世襲化にも顕れた。
すべてエスカレータ方式がその原点にあった。
政治家は自分の子供にも、その地盤を継がせたい。自分は幸い,大して優秀でもなかったが、家庭が裕福だったから、無試験同様で東京大学に入れた。(事実、アメリカとの戦争で多くの青年が戦死し、生き残った青年は激減していたから、大学に行く余裕があれば、どこでも無試験で大学に入れた時代があった)
ところが子供の時代になって競争が激しくなり、自分の時のように簡単に東京大学に入れなくなった結果、彼らは一つの名案を考えた。東京大学に行けなくても、せめて私立大学の雄である大隈大学か福沢義塾大学なら名前負けしない。
大隈大学は、明治の政治家が創設した大学で政治家やジャーナリストを多く育てた。
しかし福沢義塾大学のような小学校から大学までのエスカレータを持っていなかった。そこで政治家たちは子供を福沢幼稚舎という小学校に入れたら、大学まで行ける処に目をつけた。
福沢幼稚舎に入るには、現在のように競争する私立小学校が皆無だった当時は大学以上の学費がかかった。甲北中学・高校も当時の学費は私立大学以上かかった。
結局は金の力で名門という名の大学卒業証書を買ったのであるが、彼らには代議士になって取り返すことで、採算が合ったのだ。
日本の政治家が、井戸塀政治家から成金政治家に成り下がった大きな原因がここにある。政治家と金の問題がここから始まったのである。
医者も同じことが言える。
現在の大学の在り方の原点がここにあることを再認識しなければ、時代にあった抜本的教育制度の改革は出来ない。
このような国は、日本の高度経済成長を真似た韓国にも見られるが、世界では極めて稀なケースである。
地球が狭くなった現代、日本や韓国の在り方が世界から奇異に見られるのは、こういった背景があることを忘れてはいけない。
急激な変化には、必ず副作用が出る。
世界を驚かす高度成長をした日本が必然的に抱えた副作用が今、噴出しているのである。
今我々は、この状況を敢えて享受する姿勢と、そこから自己変革していく進取の精神を求められているのであろう。やはり無理をすれば歪みが生じる。
無理な進学教育をすれば、歪んだ子供が生まれる。
進学校の誕生は、その時代の要求でもあったが、やはり自然発生的ではなかったから、今その歪みが出ている。
甲北中学・高校の罪は、やはり大きい。もちろんその背景にある、東京帝国大学なる化け物大学をつくった政治家と役人の罪はもっと大きいことは言うまでもない。