第四章  他校との競争

洗足小学校の教育制度の抜本的改革で、生徒の精神構造が大きく変わったことが、他校でも話題を生んだ。
今まで、競争原理を一貫して否定して、結果の平等だけを追いかけて来た日本の教育制度が、世界で通用しないことがはっきりしてきたからだ。
どこの国でも、民族でも、人種でも生き物である限り差別はある。
問題は悪意の差別か、公正な差別かで判断をしなければならないのに、とにかく差別自体が悪いという思想が、この国に根づいてしまったのだ。
特に、アメリカの指導の下、半ば洗脳教育を為された戦後教育は、教育というものの成果が如何に時間を要するかを如実に示している。
どんなに力づくで、洗脳教育をしようとしても第二世代から第三世代までかかる。
洗脳教育の対象だった第一世代は、戦後のベビーブーマーたちだった。
アメリカではベビーブーマーは一九四五年から一九五五年の十年間に生まれた人たちを指すが、日本では一九四七年から一九五〇年の三年間に生まれた世代を言う。
それは、当時のアメリカは、大英帝国・パックスブリタニカからパックスアメリカーナに移った第一期黄金時代であり、まさに黄金のフィフティーズ(五十年代)だったからだ。
一方、日本は明治以降の突貫工事での近代化政策が暗礁に乗り上げた最悪の時期が、ベビーブーマーの世代であったから、同じベビーブーマーと言っても、後々表れて来る現象は、まったく逆のものであった。
ベビーブーマーたちの子供に、その影響が遂に表れた時期が、一九八九年から一九九一年のいわゆるバブルの発生とその破裂の時期と重なった。
その頃、彼らは小学生から中学生だった。
欲望の渦の中で、お金がすべてだと思い、Japan As No1 と浮かれた親たちを見て育った彼ら第二世代は、極端な唯物人間になっていった。まさに化け物世代が、この時期に、バブルの水面下で大きくなっていたのだ。
そして、この第二世代が大人になって日本社会に入ってきたのが二十世紀末であった。
日本の教育が歪(いびつ)になってきたのが、この一九九〇年代の十年間で、アメリカ洗脳教育が遂に成果を出したのだ。
健吾たちが第三世代にあたるのだが、彼らがまさに二十一世紀の日本の命運を左右する重要な世代になる。
洗足小学校の試みは、その成否によって二十一世紀の日本を占うことになる。
幸い、他の学校も、現代社会の頽廃に気づいた人たちがいて、何とか脱線してしまった日本号を、もう一度正しいレールに戻そうとする動きが出て来たことは、真っ暗な長いトンネルだった日本に一点の灯りを点してくれた。
いい意味での、ライバル意識が学校間で生まれてきた。
洗足小学校の噂を聞いた、渋谷区の南平台小学校から、学力対抗試合の申し入れが入ってきたのは夏休みが終わった直後だった。
四年生から六年生の三学年で、それぞれの学年から男女それぞれトップ5の生徒が競うという提案だった。
校長先生は、大手を振って了解の返事をしようとしたが、PTA会長の上村筆一の、先生たちの意見を聞いてから返事した方がいいというアドバイスに従って、職員会議が行われた。
工藤先生や川端先生と同じ意見を持った先生は、あまり多くいなかったからだ。
一学年に五クラスあって、およそ二百五十人の生徒の中から男女トップ五人を選ぶ試験をすることに抵抗を感じている先生が多かった。
五クラスあっても、それぞれの担任の先生によって、教え方が大きく違う。
小学校は中学、高校と違って、担任の先生が自分のクラスのほとんどの授業を受け持つ。
制度は一応決めたが、担任の先生の能力差が、クラスの実力に反映するから、先生の出来不出来も自然に浮き彫りにされる。
これまでの学校の一流・二流の判定は、生徒の学力で為されてきた。
要するに、いい中学、高校、大学に進学できる学校が一流だとする判定方法だった。
学校の先生の判定はされていなかった。
しかし、今回の洗足小学校と南平台小学校の対抗試合は、先生の判定結果にもなるので、尻ごみする先生がいるのだ。
「もちろん、いろいろな意見があるでしょうが、南平台小学校から挑戦してきたのですから、逃げるわけにはいかないでしょう」
有無を言わさない校長の発言に、反対派の先生も黙ってしまった。
「それじゃ、正式に受けるという返事をしますが、南平台小学校の方から、日時場所は一任すると言ってきておりますので、こちらから指定しなければなりません。
何かご意見があれば?」
六年A組担任の依田先生が手を挙げて発言した。
「各学年のトップ5を選定する方法ですが、この際試験で決めたら如何でしょうか」
六年B組の金子先生が反論した。
「今までの通信簿の評価を基準で選ぶべきです。我々が判定してきた生徒評価が結局一番正しいと思います」
PTA会長の立場で会議に同席していた筆一は、金子先生の発言を聞いて愕然とした。
「まだ、こんな頭の固い先生がいるのか!」
よほど発言をしようと思ったが、それを制するように校長先生が、金子先生に言った。
「金子先生。あなたはこの洗足小学校に来られて何年になりますか?」
何を質問されているのか理解に困っている金子先生に、
「金子先生が、超一流の二橋大学を卒業されたのは三年前でしたね。二橋大学というのは、昔は二期校で大岡工大と東西横綱の雄でしたが、落ちたもんですね。
二期校制度というのは昔の良い習慣を生かした制度だったのです。技術系と事務系の専門学校としての誇りを持っていました。今はただの学校になってしまったから、あなたみたいな方が生まれるのです」
顔面蒼白になった金子先生を無視するかのように、校長先生は言い放った。
「男女それぞれトップ5の生徒を決める試験の準備をすぐにしてください。新しい制度を基本にした試験内容ですよ。いいですね」
洗足小学校は、その日から騒然とした日々が続いた。
試験をする前に、試験の内容を決めるのに、各先生が四苦八苦したからだ。
そして、いよいよ、試験の日がやって来た。