第二章  驚くべき変化

子供の、変化に対する対応力は驚異的なものがある。
好奇心の強さが、その源泉にあるのだろう。
大人になると、何事にも関心が薄れて、変化よりも安定を優先するようになるが、子供は経験することがすべて初めてのことで、感動する喜びを味わう。
大人になればなるほど、感動する経験が減っていき、感動そのものを忘却してしまう。
卵が先か、鶏が先かの問題になるが、どうやら大人のバロメーターは感動の多少と関係がありそうだ。
大人になっても、絶えず感動する機会を持ち続けることが出来れば、精神も肉体も子供の純粋さを持続することが出来るとも言える。
結局の処、大人と子供の違いは、生きてきた年数だけでは決めつけられないものなのだろう。
子供でも老けた子供がいるし、大人でも若々しい大人もいる。
目を見れば、一番良く表れている。
一般には、子供の目は澄んでいる、大人になれば濁ってくる。
だが、中には大人になっても目が爛々と輝いている人がいる。そういう人は、たとえそれが危険なことでも、日々の変化を楽しんでいる。
スリリングなことを、人間は潜在意識下で欲求する。
それは、スリリングなこととは、先行き不透明、予測不可能ということであり、不安はあるが、熱い希望もあるからだ。
希望を失くした人間は生ける屍である。
不安や危険の中で生きるのは、生きている証である。
変化と危険。希望や理想、夢の原点はここにある。
子供たちは変化や危険に惹きこまれやすい。それは余計な知識がないからで、大人は余計な知識を持ち過ぎて、変化や危険を避けてしまう。
自然のルールでは変化するのが当たり前だ。
自然のルールと自分の想いとが相克する大人は、必然、精神に分裂状態が生じる。
そうすると目が濁り、焦点がぼやけてきて、夜も夢、昼間も白昼夢の状態に陥る。
現代人の大人の大半は、この症状に陥っている。
更に悪いことには、子供にまでその症状が顕れ始め、一億総国民精神分裂状態になっている。
洗足小学校の新しい教育制度の導入は、この危機的状態に一石を投じる結果を生む様相を呈した。
その中で際立っていたのが太一の驚くべき変化だった。
もともと、目が輝いている太一だったが、五年生になってからは更に輝きを増し、誰が見てもその変化の大きさに驚くのであった。
同じクラスの佳代も、びっくりしていた。
最初に勉強に励むように仕向けたのは佳代だったのだが、その佳代がついて行けない始末だ。
「健吾!太一がすごい変わったのを知っているか?」
浩が、五年A組の教室にやってきて言った。
小学校ではクラスが違うと、急に疎遠になる。しかし健吾と太一の友情は、何ら変わるものではなかったが、やはり一日中同じ教室に一緒にいるのといないのとでは違う。
健吾は、太一の変化に気づいていなかった。