第五章  佳代の優しさ

「おい健吾。最近、上村の様子がおかしいと思わないか?」
昼休みに二人でグラウンドに出た時、太一が言った。
「うん、そうだな。お前が優しくしてやらないからだ」
そう答えた健吾に、太一は嬉しそうに頷きながら、
「そうか、俺が優しくしてやらないといけないか?」
健吾は頷いた。
実は健吾も恵津子のことを今でも好きだったが、それを口に出すことは出来なかった。
「だけど、佳代ちゃんも大事にしてやらないと・・・」
太一は困った表情をして言った。
「太一、お前は二人の女の子から頼りにされてモテモテだな」
健吾は太一を冷やかした。それを後ろで佳代が聞いていた。
二人の後をついて来てたのだ。
「何だ!佳代ちゃん来てたのか」
太一が困ったような表情をしたら、佳代は笑いながら「太一君は上村さんのこと好きなんでしょう?」
と言ったが、その表情は明るかった。
「そんなことないよ。あいつは健吾を裏切ったんだ、許せるもんか」
と太一が強がったが、健吾と佳代はけらけらと笑って太一に指を指した。
「何だよう、お前たち。何が言いたいんだよう」
ふくれ面の顔をして、真剣な顔になる太一だった。
「いいのよ!上村さんに声をかけてあげても。ねえ健吾君、いいわね?」
健吾の方を向いて佳代は聞いてみた。
「ああ、僕は全然気にしていないから」
健吾が答える微妙な表情を見て、健吾も恵津子のことが好きなことを
佳代は悟った。
実は佳代は健吾のことを、最初に席が隣同士になった時から好きだった。
しかし、そのことをおくびにも出さなかった。
佳代の育った環境が、どうしても引っ込み思案な態度にしてしまうのだろう。
佳代は自分の気持ちを一切出さない。
そのことを察するには、健吾と太一はまだ子供で無理だった。
二人を押し出すように佳代は言った。
「さあ、早く。上村さんのところへ行ってあげなさいよ」
二人は、佳代の気持ちも計れず、知らぬ間に教室で一人で座っている恵津子の前に立った。
二人を恵津子のところへやった佳代はグラウンドの真ん中で、一人ぽつんと立っていた。その表情は大人の哀しげなもので、目には薄っすら光るものがあったが、それを誰も気づく者はいなかった。
佳代は、小さな頃から自分を出すことは絶対にいけないことだと、自然に思うようになっていた。
哀しい家庭環境が、母親の美佐子からも父親の大野武吉からも何も言われなくても、佳代にそう教えていたのだ。
しかし、まず人のことを思いやる佳代の優しさを、健吾や太一がいつかは大人になった時に分かる時が来るのだが、今は哀しい佳代だった。
佳代に言われた二人は恵津子の前に立って、何を言っていいのか分からなかった。
急に前に立たれた恵津子もびっくりしていたが、すぐにいつもの落ち込んだ表情に戻って下を向いて黙っていた。
恵津子の態度に、ますます言葉を出せずにいた二人だったが、健吾が先に口を開いた。
もともと健吾は恵津子に対して敵意を表したことはないだけに話かけやすかった。
「上村、元気ないな。君らしくないよ。前の明るい上村に戻ったら?」
横で何を言っていいのか分からない太一も、「うん、そうだ、そうだ」と頷いた。
しかし、恵津子は下を向いたまま黙っていた。
太一は、
「何をすねているんだよう!俺が喋らなかったからなら、謝るよ。なああ?」
必死で恵津子の閉じた心を開かせようと試みてみたが、恵津子は下を向いたままだった。
「太一、今日はもうやめよう」
と言って健吾が自分の席に戻ろうとしたら、太一は頭に来たらしく、恵津子に罵倒を浴びせかねない状態になっていた。
すぐに健吾が太一の手を引っ張って、恵津子の席から後ろの席の方へ連れ戻した。
「何だよう、あいつ。俺たちがせっかく・・・」
と言いかけた時、佳代が席に戻ってきた。
「どうだった、上村さん?」
佳代が健吾に聞くと、健吾は黙って首を横に振った。
「佳代ちゃん、あの上村の奴・・・」と太一が喋りかけたので、佳代が察して、太一の口を塞いだ。
何故か分からない太一は、二人の気持ちを計りかねて首を横に振りながら席に座った。
佳代が恵津子の方を見ると、恵津子はまだ下を向いたままだった。
「上村さん、二人に話しかけられて、本当はものすごく嬉しかったのだと思うわ」
健吾は佳代の言うことが何となく分かるような気がしたが、太一はさっぱり理解できずに首をかしげるばかりであった。
「何回かやってみないと無理だと思うよ」
健吾が佳代に言うと、佳代もその通りだと言わんばかりに頷いた。
ずっと下を向いていた恵津子の席の下の床に、涙の雫がぽとぽとと落ちていたのを誰も気づかなかった。
「健吾君、太一君、佳代ちゃん。ごめんなさい」
恵津子は一人で呟いた。
その後、恵津子は佳代にだけは、徐々に心を開いていった。
その兆しは朝の登校の時だった。
「おはよう、佳代ちゃん」
恵津子から話しかけて来た。
「おはよう、上村さん」
いつものように言ったつもりの佳代だったが、恵津子に「上村さんなんて止めて。名前で呼んで欲しいの、佳代ちゃんには」
と言われ、佳代は嬉しそうな顔をして、「それじゃ恵津子ちゃん、おはよう」
と言う佳代の素直さと、純真さに恵津子は胸が熱くなった。
「わたしは、ちょっと無視されただけで怒ったり悲しくなったりするのに、佳代ちゃんは、あれだけいじめられていても素直でいれる。本当に偉いわ」
恵津子は、今まで同性に対して友情を感じることは無かっただけに、佳代という友達を大事にしたいと思った。
「恵津子ちゃん、どうしてあれだけ仲がよかった健吾君や太一君と話しないの?」
最初は黙ってしまったが、佳代だけには隠しごとをしたくないと思った恵津子は、口を開き始めた。
「わたしが健吾君にひどいことをしたの。だから・・・」
「運動会のことでしょう?」
佳代が知っていることに驚いた恵津子は、ため息をついて言った。
「京都にいた佳代ちゃんまで知っているなんて、やっぱりわたしはひどい子なのね」
今にも泣きだしそうな顔をした恵津子を見て佳代は解った。
「恵津子ちゃんも健吾君のことが好きなんだわ」
しかし佳代は絶対に口に出さなかった。
「佳代ちゃんは健吾君のことを好きなんでしょう?」
突然、恵津子からずばり聞かれた佳代は動揺して、顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
「もうだめだわ。わたしの心の中が恵津子ちゃんに見透かされる」
必死になればなるほど顔が赤くなる。
だが恵津子はそれ以上聞いてこなかった。
「太一君て、本当はすごく優しい子なのね?」
佳代に同意を求めるように、恵津子は話題を健吾から逸らした。
「そうよ、京都の学校に行っているとき、毎日のようにわたしがいじめられるの。そうすると太一君がやって来て、みんなを蹴飛ばしたり殴ったりして、恥をかかせるの。そうしたらもう二度とわたしをいじめる子はいなくなったの」
以前の恵津子は明るくていい子だったが、佳代に比べて優しさに欠けていた。
その佳代を目の当たりに見て恵津子は思った。
「佳代ちゃんのように目立たない子供が本当は一番偉い子なんだ。わたしなんて目立つことばかり考えて、そして馬鹿な目に合う。佳代ちゃんの優しさはどんな事があっても変わらないのね」
もう居ても立っても居られなくなって、恵津子は佳代に泣きながら話しはじめた。
佳代と恵津子の友情が芽生えた瞬間だった。