第二章  四年生の大事さ

始業式の事件は、大した問題にはならずに済んだが、それまで憧れ的存在だった西本二朗と上村恵津子は他の生徒たちから無視される存在になっていった。
そして二人の間も気まずくなり、お互い言葉を交わすことさえ無くなってしまった。
四年生になると、子供といっても九才から十才になるから肉体的変化が起こってくる時期であり、人間の本質も固まってくる。
武士の時代では元服といって十一才から十六才の間で成人になる年齢に達したと見なされる。
現代の成人年齢は二十才だから、昔の方が人間の成熟感覚は進んでいたと考えられる。
ましてや、物質的豊かさから肉体的成熟は現代の方が早くなっている。
ここにも青少年問題の原因が潜んでいる。
日本の教育制度は昭和十六年に制定された六・三・三制を今でも続けているが見直すべきだという声すら上がって来ないところに、日本の精神性に重大な支障が起きているように思われる。
感受性の強い健吾は四年生になって、クラスの雰囲気も急に変化したように感じていた。
女子生徒が肉体的には大人の仲間入りをする時期がこの頃であり、その変化に刺激されて男子生徒も変化する。
問題は、肉体的には未熟さを残している男子生徒に、肉体と精神のアンバランスが生じてくるのがちょうど四年生の頃で、その後の人格形成に決定的要因をつくってしまう大事な時期に差しかかることだ。
女子生徒は、肉体的変化と精神的変化がちょうど同じこの頃に起きるためバランスのとれた成熟期を迎えられる。
この成長過程の差が、男女の根本的違いである。
そして、その頃から性の意識が目覚める。すなわち男女の区別意識が始まる。人間の男女間のすべての問題は、この男女間の深層心理に生じた区別意識が原因になっている。
肉体的成熟と精神的成熟のバランスが、人間だけが持っている理性を生む。
理性があるということは、実は知識があるということでも、経験があるということでもなくて、肉体的成熟に依る感性と、精神的成熟に依る知性とのバランス度が理性の程度になる。
したがって、女性の方が本来理性的であるといえる。
この頃には、すでに女子生徒は大人の域に達しているのだ。
恵津子はすでに心身ともに大人になっていた。
健吾は肉体は大人だが精神はまだ幼かった。しかし天性の理性があった。
二朗は現代風潮に侵されたプラスチック人間の子供であった。
プラスチック人間は恐ろしい動物で、自分がプラスチックという無機物質だから、他のすべての生き物に対しても無機物としてしか見ることが出来ない。
現代風潮が、プラスチック人間を増大させているが、人類が人間に進化した時にこの無機物的人間が誕生した。
他の生命体と同じで、本来有機生命体である人類の中に、突然変異の無機物的有機生命体であるプラスチック人間が生まれ、彼ら自身が人間の原罪の核となってしまった。
世の中の解決し得ない問題のすべては、このプラスチック人間が為した罪が原因であることを人間は理解していない。
宗教の本質は、プラスチック人間を元の有機物的人間に変貌させることであるのに、逆にプラスチック人間製造工場になってしまって、信者は完全に教祖や教団の利益の為のロボットにされてしまっている。
二朗や、その親は、現代日本が生んだ典型的プラスチック人間で、彼らの家は人気(ひとけ)がまったく感じられない。
日本には、こういった家庭が、いま爆発的に増えてきている。